段丘境目の起点と命山の形成〔3298〕2012/04/26
2012年4月26日(木)曇ったり降ったり
よく降る春です。今朝も小雨模様。
しかしあれですね、昨日の高知新聞に載っちょった「命山」、各方面から反響を頂戴しました。賛同して下さる方も多いので、ずんずんと進めていきたいところ。
昨日の地図に載っちょった命山(室岡山)と、それこそ双子のような山が、ここ。いつもの上岡八幡宮様が鎮座する上岡山。
上岡山、斜面に八幡様、その横にお寺さん。
室岡山、斜面に八幡様、その横にお寺さん。
「上」と「室」が違うだけ。ここ上岡山は、同じ物部川筋でも、2.4km遡った場所にありますので、周辺の事情は違います。
何度かご紹介しちょりますが、この坂を上がったすぐ左手の、先の尖った標柱が、安政南海地震で津波がこの西の川原まできたことを刻む碑。1854年の津波は、ここまででした。この山も命山やったでしょうか。
野市は、少し高くなった台地上にあります。河岸段丘の上。物部川は、上岡山のところから、南東に扇状地を形成し、その北側は段丘の上で、少し高うなっちょります。その段丘上にあるのが、現在の野市の街中心部と南部。
ここは、段丘の境目であり、起点。こっから南西に、段丘の境目が延びていくのであります。わかりにくいですか?話が。
この写真の左側が段丘の下で、神社の境内が段丘の上、ということです。この段丘が形成されるのに、上岡山が大きな役割を果たしちゅうことは、googleの航空写真を見たら明らか。この上岡山のおかげで広い台地がつくられ、野中兼山さんのおかげでそこが肥沃な農地になった訳です。
平地の真ん中に、突然ポコンっと形成される小山。
どんなメカニズムで、山ができるがでしょうか。専門家ぢゃあないのでわかりません。が、褶曲とか火山とかでできたものでないのは明らか。すると堆積でしょうね。香川の山々は、堆積した地層が風化してできたものですが、川の扇状地にポコンとできる山は、やはり川が上流から運んで来た土砂に由来するがでしょうか。
何らかの原因で、ここに上流からの土砂が堆積するようになり、それが山になったと。
それでは原因は。
丁度この西側の川の中に、2005年9月1日、2007年9月20日、2008年10月23日、2008年11月1日、2011年3月30日、2011年11月2日などなどでご紹介した、三宝山から稲生につながる固い地層の露出があります。その、固い固い地層を物部川が通過する際、何らかの原因で土砂が溜り始め、いつしか山ができていきました。などとまた、根拠の無い妄想を暴走させてしまうのは、クセですき許いてつかあさい。
どちらにしましても、そんな自然の偶然の営みによって形成された命山が、人々の命を救うてきました。今度は、偶然でなく、強い意思をもって命を救う山をつくりたいものです。