野市、十善寺溝、水を制するもの〔3267〕2012/03/26
2012年3月26日(月)晴れちょります
今朝は結構冷えました。会社に置いちゅう車のフロントガラスがカチバリツイちゅうほど。この季節、ぬくうなったりひようなったり。
ここは現香南市、野市の深渕。延喜式内社の深渕神社に、朝日が差し込み始める時間帯。野市の深渕神社のご祭神は深渕水夜禮花命(ふかぶちみずやればなのみこと)で、水の神様。物部川水系の、暴れだしたら止まらない川を鎮める神様。原部島という、もっと物部川沿いのところにあった神社は寛文年間(1661〜1666)に壊滅的に流され、十善寺地区に移設。しかし、そこも明治25年の大洪水で大被害を受けて、明治32年、この場所に落ち着いた、という訳です。
ですきに、ご覧のように、境内もちょっと新しい雰囲気があり、樹々もまだ小さめ。ですけんど、古い古い延喜式内社。
ここを流れる水路は十善寺溝。ご存知野中兼山さんが開削した水路のひとつ。町田堰から引かれた上井川が、このもうちょっと北西の「三叉」で分岐、そのうちの1本が、この十善寺溝という訳です。
野市は、野中兼山さんが灌漑事業を行うまで、農耕地には適さない野原やったようです。河岸段丘の上の台地上の場所。そこに水を引くことで、豊かな農地になっていった訳です。農業とは、水をなんとかする、ということ。
この横に建てられた白い柱、これには、別にこの水路が史蹟である、ということを書いたものではなくて、この十善寺溝が「浄化指定水路」である、ということを書いた、土地改良区が建てた柱。大切な大切な水路。
古来、この周辺でも水争いのようなことは数限りなく行われてきました。
高知には、こういった水路がたくさんあります。皆さん、ちょっとその気になって水路沿いをたつくってみてください。水路の無い場所に比べて、圧倒的に、大きな古い蔵とか立派な古い家とかが多いことに気付きます。水を制したものは、富を制したということが体感できます。
昨日、水車や、谷川沿いに上へ上へと積み重なる棚田もそう。水をなんとかするため、ヒトは、戦いを続けてきました。そして、その場所で、文化を築き、つなげてきたのでありました。
中山間を活性化する、ということは、そういった生活の場を確保する、ということ。構造改革、自由化とは対極にある、ということ。
みなで、水路沿いや山をたつくりまわってみましょう。何かが見えてきます。