春の筆山、片山半兵衛、元親、花見〔3265〕2012/03/24
2012年3月24日(土)晴れ!
晴れちょりますが、風はちくと冷たい土曜日。日差しは春ながですけんど。
鏡川河口に近い、鏡川大橋近くから筆山方面を眺めてみました。鏡川の向こうの街は、役知町、土居町。何故、あんな場所に土居町があるかと言いますと、筆山にお城を築いた森氏の居城の土居が、あの界隈にあったき。戦国期、筆山界隈は、重要な戦略拠点でした。
現在の土佐町森を本拠としていた森氏が、この土佐の中原に出て来たのは戦国中期。しかし、本山を本拠に中原へ進出、朝倉城を根城にした本山氏に攻められ、その山は、本山氏の勢力圏になりました。
そして迎えた、本山氏と長宗教我氏による戦国土佐の事実上の決勝戦。浦戸湾を挟んで西が本山氏、東が長宗我部氏、という感じやったがですが、長宗我部軍は一気に浦戸湾を渡って奇襲で長浜城を攻め落とし、本山氏に決戦を挑みます。
朝倉城の本山氏、長浜を陥とされたらたまらん、ということで軍勢を長浜まですすめ、大決戦となりました。長浜、戸の本の戦い。一説には、元親の初陣ともいわれる戸の本の戦い。古戦場は、2007年11月18日のにっこりでもご紹介しまた。
そして長宗我部軍の勝利。それまで女の子みたいでおとなしすぎる、と家臣に思われちょった元親くん、見事に軍勢を指揮してその能力を見せつけた、というのは有名な逸話。そして、敗走する本山軍を追いかけ、この、筆山を占領したのでありました。
部下たちは、深追いを心配して反対。しかし、筆山上空の鳥が緊急事態を告げておらず、幟旗も静かであったことなどから、筆山を守っておった片山半兵衛は既に全軍を撤退させちゅうと読み、見事に占領した訳です。
あの筆山を押さえた価値は高く、それからどんどんと長宗我部軍は中原に勢力を伸ばし、遂には本山氏を破って土佐に覇を唱えることとなりました。
そんな筆山。以前この季節になると、あの頂上界隈はピンク色になりよった筆山。見事であった桜が病気にやられてから、花見の名所ではないなった筆山ですが、また、ちょっとづつ桜が戻り始めちゅうそうです。
また、あのてっぺんの公園が花見客で埋め尽くされる日が来たらエイですな。