土佐藩下屋敷の龍馬くん〔3257〕2012/03/16
2012年3月16日(金)東京は晴れ!
てな訳で今朝は東京。天気はエイですが、風が冷たい東京。
品川界隈に泊まっちょりましたので、今朝は品川、鮫洲、立会川をたつくってきました。ここは立会川の駅の北西、国道沿いにある浜川中学校前。浜川中学校から立会川の駅にかけての広大な土地に、藩政期、土佐藩の下屋敷がありました。1万6千8百坪といいますき、どれっぱあでしょうか。想像できません。築地にも下屋敷がありましたので、なかなかのもんです。
安政の大獄の後、かの山内容堂侯は、ここの下屋敷に蟄居しました。容堂さんのお墓も、このもうちょっと北、鮫洲駅東の小高い丘にあります。土佐藩主の墓所は高知の筆山にあるのでありますが、容堂さんは、本人の遺言で、ここに葬られちょります。海を見晴らす丘の上、ということで遺言を書いたがでしょうけんど、今、その墓所に立ってみますと、家や高架の鉄道が見えるだけで海は見えませんでした。
さて、安政の南海地震が発生する1年前の嘉永6年(1853年)、19歳の龍馬くんは、剣術修行の名目で江戸に出て来ちょりました。そしてその時期に、丁度、黒船とペリーがやって来ました。土佐藩としても、この下屋敷からしゅっとの海岸に砲台を築き、警備体制を整えたのでありました。浜川砲台。若き龍馬くんもその警備にかりだされ、たぶん、この下屋敷に寝泊まりして任務に当たったと思われるのであります。
そんなこともあって、立会川駅界隈、龍馬のまちということで売り出しちょります。特に、一昨年の大河ドラマ「龍馬伝」による龍馬ブームにあやかって、商店街やらなにやらかにやら、龍馬だらけになっちょります。
「龍馬伝」の始まる前に一度立会川へ来ました。2009年8月12日のにっこりでご紹介しちょります。あの、かなりゾンザイな扱いをされちょった龍馬像も、その後商店街に設置されるようになりましたが、あんな発泡スチロール製ぢゃあイカン、ということで、地元が頑張って、今では駅前に立派なブロンズ像になって立っちょります。出世しました。
で、この写真。浜川中学校前の掲示板。地元の警察によってつくられた防犯のチラシが貼られちょりました。左側まん中のチラシは「龍馬から大井の皆さんへのメッセージ ひったくり 気をつけにゃーいかんぜよ」という内容。「ひったくり犯はぎっちり後ろから狙っちゅう!気をつけにゃーいかん!」とも書かれちょります。一言相談してくれたら、ちゃんとした土佐弁を教えちゃったに。まっこと。
「ひったくり犯はぎっちり後ろから狙いゆう。気をつけんといかんぞね!」
右下のチラシには「偶数月の15日は年金支給日!振り込め詐欺に注意するぜよ!」「おかしいと思ったらすぐ110番ぜよ。」
龍馬さんもなかなか忙しゅうございますな。