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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

五台山のお月さま、吸江庵、中世の土佐〔3230〕2012/02/18

五台山のお月さま、吸江庵、中世の土佐

2012年2月18日(土)晴れ!

今朝、南国の会社に来てみますと、車のフロントガラスに雪が。昨夜、雪が降っちゅうにかありません。かなりシビコオル朝。
とは言え、早朝東の空にはサソリ座のアンタレス。夏の星座が見え始めちょりますね。

ここは今朝の高知市中の島突端。右手に鏡川、左手に堀川が流れ込みます。その突端から東の空を撮影してみました。バナナ型のお月様がキレイです。正面の灯りは弘化台。その向こうには、写真には写っちょりませんが五台山があります。
五台山のこちら側の麓には、吸江(ぎゅうこう)禅寺があります。由緒ありまくりの古い名刹。

鎌倉末期、夢窓疎石さんが、北条高時から逃れて土佐にやって来て住んだがに始まります。1318年のこと。で、そこから見える浦戸湾の美しい風景を「吸江(ぎゅうこう)」と呼んだことから、その寓居を吸江庵と呼ぶようになったとされます。
夢窓疎石は夢窓国師とも言われるように、その後、南北朝の争いを経て政権を握った足利尊氏の政治顧問となり、活躍した訳で、吸江庵も、室町幕府によって保護され、隆盛を極めたのでありました。

1345年、その吸江庵の寺奉行に任じられたがが長宗我部11代の長宗我部兼能さん。幕府との関係が深い、この名刹の奉行をやっていくことで、長宗我部氏は徐々に力を蓄え、戦国の覇者に成長していったのでありました。

そんな時代のことを、日本の「中世」と呼びます。昨日、一昨日と、中世の街についてご紹介しました。鎌倉時代から戦国の頃までを、日本では一般的に「中世」と呼びますね。
中世、というと、どんなイメージがあるでしょうか。土佐の中世、誰が権力を握り、実力があったのは誰で、どんな暮らしをしよったのか。これ、結構知られちゃあしません。
鎌倉時代は、梶原氏とか三浦氏とかが守護となり、京の一条氏の荘園が幡多に成立したりしました。南北朝の時代、土佐では南朝方の勢力が強かったがですが、結局北朝の勝利に終わり、室町幕府の支配下に入ります。

そして室町幕府の実力者、細川氏一族が土佐の守護、守護代をつとめる時代が長く長く続きます。その居館は南国市の田村。たぶんその当時、南に、太平洋から入り組んで来たラグーンが広がり、良港となっちょった田村。そこが、中世土佐の政治の中心でした。そして、足利政権が弱体化していくにつれ、群雄が割拠し始めて戦国時代へと突入していきます。

ところでヨーロッパでは、中世というと、西ローマ帝国が滅亡する5世紀から、ルネッサンスの時代の15世紀くらいまでの間をいいます。ローマ帝国などによって文明、文化、科学技術等が著しく発展した後、キリスト教の圧倒的な影響下のなかで続いた長い長い停滞時代。暗黒の中世と呼ばれるのは、そういったことから。そして、ルネッサンスの時代になって、ようやく、また、劇的に動き始めたのがヨーロッパの近世。

土佐では中世、あの向こうに吸江庵がつくられ、長宗我部氏が奉行となって勢力を伸ばしました。近世、この左手に堀川が開削され、高知の城下が賑わいをみせていったのでありました。


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