草戸千軒〔3228〕2012/02/16
2012年2月16日(木)曇り
で、今朝は福山。広島県の福山。昨日、福井から移動して来まして夕方到着。夜は福山のおいしい料理を食べました。
泊まっちょったのは福山の駅前。今朝は、そっから、どうしてもたつくってみたかったこの場所まで走ってきました。ここは草戸。芦田川に架かる法音寺橋の上。橋の上から河口方面を撮影したががこの写真。
この橋を渡り、ちょっと右手へ行くと、山裾にへばりつくように赤い巨大な木造建築があります。草戸稲荷神社。なかなか美しいこのお宮さんは、広島県では2番目に参拝客の多い神社やそうです。
が、ご紹介したいのはこの風景。この、川の中州のところに、13世紀半ばから16世紀初めにかけて、都市が存在しました。いわゆる「草戸千軒町」。
芦田川の河口部、交通結節点に繁栄したとされる草戸千軒町は、伝説の街でした。
江戸時代中期に編纂された「備陽六郡志」という書物に、洪水で消滅した街として描かれちょったのが「草戸千軒」。芦田川河口の三角州に繁栄し、洪水ですべてが流されてしもうた、という伝説の町。その痕跡は、どこにあるのやらわからんなっちょった、それこそ「伝説」やった草戸千軒。
1930年頃、くねくねしちょった芦田川をまっすぐに付け替える工事が行われ、新しく川になった場所からたくさんの遺物が出土しました。どうやら伝説の草戸千軒にかあらん。と、いうことで、1961年から30年にわたって、この写真の場所の大規模な発掘調査が行われ、ここが草戸千軒で、中世の、大変賑やかな都市やったことがわかったのであります。
発掘によって、中世の都市部の庶民の暮らしが鮮やかに浮かび上がってきました。商業、職人による手工業、流通、そして金融業にいたるまで、今迄考えられちょった以上に、広域で活発な経済活動が行われよった訳です。京、大阪からこんなに離れた場所でも。
草戸千軒は、福山駅の近くにある広島県立歴史博物館に、実物大の復元ジオラマがつくられちょります。ひまわり太郎、何度も見に行きました。が、その現地へ足を踏み入れたがは今朝が初めて。
今はご覧のように芦田川の中州になっちょりますが、河道が付け替えられるまでは三角州やったそうです。
ここに、まさしくここに、300年間存在した中世の街、賑わい。こうやって眺めると、こじゃんと不思議な感じがしますね。賑わう情景が、目に浮かんできます。