行川、菜の花、河田小龍さん〔3224〕2012/02/12
2012年2月12日(日)快晴!
朝晩は冷えますけんど、日中は、春になってきました。日に日に日に日になんとなく春めいてくる、高知県地方。
昨日は蘇鶴温泉の菜の花をご紹介しましたので、今日は、行川の菜の花。
久々に、高知から鏡川を遡上、行川口から行川川沿いに駆け上りました。ここは行川。「なめがわ」と読みます。この横を流れる川は行川川で「なめがわがわ」と読みます。鏡村や土佐山村が高知市に合併される前から、ここは高知市行川でした。昭和17年から、つまり朝倉村が高知市になったときから、もう、高知市やった訳です。
現在の行川地区は、江戸時代の領家郷の中の行川村、上里村、針原村、領家村、唐岩村の五ヶ村で形成されちょります。今日は、ここ行川からこじゃんとキツい坂道を駆け上って上里(じょうり)へ、そして針原へと抜けて、旧鏡村役場のあった川口へ下ってきました。このコースは、アップダウンの心地よさや景観の素晴らしさで、ひまわり太郎を引きつけます。
ところで、ここがなんで行川(なめがわ)という地名なのか。案内板によりますれば、川底の平坦でなめらかな場所をナベラあるいはナベ、ナメ、と言うたところからきちゅうようです。なるほど。この地域を流れる所だけ、行川川は流れが緩やかになり、ちょっと平坦。この上流も下流も、かなり急で巨岩がゴロゴロしよりますき、この界隈が平坦なナメカワと言われると納得できますな。
さて、このもうちょっと向こうの右手に石段があり、それを登っていくと行川神社。境内に、巨大なムクノキと杉が屹立し、素晴らしい雰囲気の行川神社。しゅっと横には、明治10年に開校した行川尋常小学校跡地。この界隈に子供が多かった時代、賑やかな子供の声が溢れちょったことでしょう。
そして、拝殿の中を覗くと、絵馬がたくさん掲げられちょります。その中の2枚が、かの河田小龍さんの描いたもの。初期の頃に使われよった落款があるそうですき、明治になる前、描かれた貴重なものかも知れません。
今日は、桃源郷のような上里から針原をたつくりました。あちこちで春を発見。まだ、ちょっとづつですが、これから、どんどんと美しく春めいていきます。高知の市街地からこんな近くに、こんな素敵な自然と集落があることの素晴らしさ。