丸亀城の石垣の美しさと市民の心〔3222〕2012/02/10
2012年2月10日(金)晴れ!
てな訳で、今朝は丸亀。香川県の丸亀。飛騨高山から名古屋、大阪と寄って、昨日の夕方やって来ました。香川支店社員の永年勤続表彰で、宇多津の駅前で飲りよりました。で、今朝は夜明け前から丸亀城界隈。結構冷えこんじょりますが、暗いうちから城の山は善男善女がいっぱい。
この城山は、実にシンボリックに平野の真ん中にあります。で、実に実に、市民の皆さんに親しまれよります。このお城が、丸亀市民の心の紐帯になっちゅう、と言うたち過言ではないでしょう。
この山は結構急峻。標高は66mですけんど、そこへ上っていく道はかなり急峻な坂道で、駆け上がると心臓がバクバクします。そのてっぺんには江戸時代に建てられた天守があり、詰の段で、毎朝ラジオ体操が行われゆうにかありません。それを目指して、暗いうちから丸亀の善男善女が集まってきゆうという訳です。
ここに砦が築かれたがは室町初期。その後、豊臣時代になって、生駒氏が、高松城の支城として現在の姿の基になる城を築城。通常なら一国一城令で、城は壊される運命にあった訳ですが、生駒氏がうまいことやって生き残り、現在まで、戦争でも焼けずに残ってきたということ。奇跡のように残されたお城、とも言えます。
その後曲折を経て京極氏のお城となり、明治維新までつづきました。
この丸亀城の美しさの象徴は、なんと言うたち石垣。この石垣がほぼ完成したがは延宝元年(1673年)で、京極氏が支配者になって15年後。
さっき、この城のある山、亀山の標高は66mと書きました。その山ほとんどすべてを利用して石垣によってお城が築かれちょります。内堀から天守まで、4層でくみ上げられた石垣の高さは60m。これは、日本一やそうです。
写真は、三ノ丸からぐるっと廻ってきたところ。いかがでしょうか、この美しくセクシーな曲線を描いた石垣。こっから下を見ると目がくらみます。これぞ丸亀城。
右上端の遠くに、瀬戸大橋が見えます。その左手に瀬戸内海。
このお城からの景観は、それはそれは素晴らしいもの。生駒の殿様も、京極の殿様も、このお城を愛したことでしょう。その愛が、美しい石垣に具現化されております。天守閣は小ぶりですが均整の取れた容姿。
このにっこりひまわりの過去記事を検索してみますと、2003年7月31日から始まって、何度もビッシリこの丸亀城をご紹介しちょります。が、一番最近は2007年8月10日。ですきに、久々ということになります。久々ですが、変わらず、美しく均整の取れた容姿で丸亀城は屹立し、丸亀市民の皆さんに愛され親しまれよりました。心を結びつけるシンボルが存在することは、こじゃんとエイこと。