小津神社の石灯籠と石橋と玉垣に刻まれた歴史〔3208〕2012/01/27
2012年1月27日(金)晴れ!
今日は高知。昨日午後の飛行機でモンて来ました。
ここは小津神社。小津町に鎮座まします、由緒ある神社。すぐ近くには薫的神社もございます。
小津神社は、この界隈広い地域の氏神様。玉垣とかを見ますと、地元の有名な方々の名前が見えます。中でも有名なのが、この、灯籠に刻まれた
寺田利正 男 寅彦
という文字。こういった場所に、あの物理学者の名前があったりするがが貴重。
明治24年7月、満13歳の寅彦少年は、県立尋常中学校の受験に失敗します。高等小学校3年の時で、通常よりも1年早い受験。その頃、両親の仲がかんばしくなく、また、体調も悪かったがでしょう。翌8月に肺尖カタルを発病、療養生活に入りました。遅くにやっとできた一人息子ですき、父、利正さんは心配で心配でたまりません。不和やった夫婦仲も、改善されざるを得ませんでした。この頃の様子を寅彦さんは、
「八月ごろより余は肺を病み父母の心痛一方ならず。日々枕下にありて介抱せられしには実に感ずるに余りあり。これより益々親の恩の深きを知る。」
と記しちょります。なんせ、療養中に、ドイツ製の顕微鏡やら幻灯機やらを、父利正さんは買うてくれたくらい、至れり尽くせり。
で、氏神様である小津神社にも、一生懸命願をかけたでしょう。
翌年になって快方に向かい、無事受験も成功、ホッとした利正さんは、願ほどきに、小津神社に灯籠などをご寄進することになった訳です。
寅彦さんの、明治25年7月6日の日記。
「コノ日、小津神社ニ石灯籠ヲ献ズ」
この石灯籠の側面には、明治二十五年六月日、と刻まれちょりますが、正式に奉献したのは7月6日やったことが、この日記でわかりますね。
昭和10年、死を目前にした寅彦さんが、この頃のことを回想して語っちょります。
「その時は親父もよほど困ったとみえて、神様へ願をかけて息子の病気をなおしてくれれば、石灯籠をあげるとか、何を献上するとかやったから、郷里へ行って見ると寺田寅彦奉納とかいうやつがある。後世の人が科学者の寺田が神社へ奉納物をしていることを不思議に思うかもしれないが、そういったわけだ。」
この当時の、両親の不和から肺病になった状態を、ちょっと自嘲的に表現しております。
ここ小津神社には、この他に、石橋と玉垣を寄進されちょりまして、玉垣には「寺田寅彦」の文字も見えます。
しゅっと近所に存在する、ちょっとした歴史です。