西脇、横尾忠則、Y字路〔3207〕2012/01/26
2012年1月26日(木)晴れ
今朝は兵庫県西脇市。業界の寄り合いです。こういった機会でもないと、絶対に来ることのない街、西脇。西脇市に関する知識としては、高校駅伝で西脇工業高校が強い、ということくらいでしょうか。それっぱあの知識しかないづくとにやって来た西脇。着いたがが、夜も遅うなってからやったもんで、今朝になるまで、街の雰囲気はまったくわかりませんでした。
今朝は6時からたつくりに出ました。ちょっと感動しました。エイ街です、西脇。どうやら、「日本のへそ」ということで売り出そうとしちゅうにかありません。緯度経度が、日本の中心になるとかならんとか。「日本のへそ公園駅」などという名前の駅もあったりします。
が、西脇の素晴らしさは、その町並にあります。広大な平野から中国山地に上る登り口、山裾に栄えた街、西脇。「播州織」の産地として、近年まで栄えたそうですが、今は衰退しちゅうにかありません。街をたつくりよりましたら、山裾に機殿神社というお宮さんがありまして、機織りが盛んやったことをしのばせます。
大正7年、来住(きし)梅吉さんという大富豪が建てた家は「来住邸(きしてい)」として公開されちょりまして、ちょっとないくらいのすごいたたずまいを見せちゅうそうです。たつくった早朝にはもちろん開いちょりませんでしたが。
この西脇は、かの、天才横尾忠則さんの出身地。で、横尾忠則さんの作品にも、この街のたたずまいが大きな影響を与えちょります。
横尾さん、Y字路をモチーフにした作品をどっしこ創られちょりますが、そのイメージの元になったのは、ここ西脇の街のY字路やそうです。知りませんでした。
2000年、西脇に帰郷された横尾さんが、このY字路にインスピレーションを得て、数々の作品を残す事になりました。「暗夜行路 N市-1」というのがその最初の作品。ここが、そのY字路。子供の頃、プラモデル屋さんやったがが無いなっちょって、ショックを受けたことがきっかけ。街中には、横尾さんのY字路のモデルになったY字路がたくさんあります。
「暗夜行路 N市-1」のY字路は、今は、このように無粋な「ここが椿坂Y字路です」という看板と案内板が取り付けられ、せっかくの風景を台無しにしちょりました。
横尾ファンの方は、あの数々の作品と、このY字路の雰囲気を確かめにやって来るのでありまして、写真に撮られたり絵に描かれたこのアングルを、体感しに来る訳です。う〜ん、センスですな。
それはともかく、古い家々と狭い曲がりくねった路地、お洒落な建築で構成された西脇の街は十分に魅力的でした。来れて良かったです。