安岡家住宅、安岡家、寺田家〔3201〕2012/01/20
2012年1月20日(金)曇っちょります
今朝の高知新聞に、香南市香我美町山北の安岡家住宅で、番屋と本門が半世紀ぶりに復元されたという記事が載っちょりました。国の重要指定文化財、安岡家住宅は、文政11年(1828年)の建築といいますき、古いです。その2年後に建てられちょった番屋は、昭和31年、近所に移築されて納屋に使われよりましたが、このたび、復元されたということ。写真左手の建物が番屋で、その右が本門。
この家に住まわれゆうのは、93歳の安岡富美さん。実は、その、たぶんご主人やと思いますが、もう亡くなられた安岡としおさんという方がいらっしゃいまして、ひまわり太郎の伯父の、東京の会社での先輩になりました。郷里の先輩で学校の先輩で会社の先輩。そんな縁で、伯父と一緒に、このお宅へ伺ったことがあります。すごい家です。
当時、もう富美さんは80歳をこえておられましたがシャッキで、ものすごい記憶力にたまげました。会話の中で「章ちゃん」という名前がびっしり出て来ましたが、小説家の安岡章太郎さんのことで、親戚になります。
その際、小さな長方形の古い綴じ込みを見せてもらいました。これが「文助日記」よ、と、おっしゃっておられました。当時はその価値もわからんひまわり太郎。
安岡文助さんは、龍馬の兄、権平さんとかと親しかったらしく、趣味の広い郷士。長男は安岡覚之助さんで、土佐勤王党では武市半平太の腹心として活躍、勤王党の獄で投獄されたりした後、戊辰戦争に出征、会津若松城攻で戦死。次男の安岡嘉助さんは、吉田東洋を暗殺した一人で、吉村虎太郎の天誅組蜂起に参加、捕らえられて処刑されました。
こっからがまた複雑ですごい。文助さんの弟、俊蔵さんは、別役家に養子に入りました。そして嫁を、宇賀家からもらいます。その、嫁にきた宇賀伊嘉さんは、なんと、こないだご紹介した寺田寅彦父、寺田利正さんの実の姉。つまり、井口刃傷事件で切腹した宇賀喜久馬さんの姉。刃傷事件の始末書を藩庁に提出したがは、その、俊蔵さんでした。
ややこしいですが、まだあります。その、俊蔵さん伊嘉さん夫妻の息子に、寺田寅彦の姉、駒さんが嫁いじゅうがです。わかりますでしょうか。で、俊蔵さんのもう一人の息子さん、又彦さんの孫が、安岡章太郎さん。
安岡章太郎さんは、安岡文助さんの弟の曾孫、ということでしょうか。
寅彦さんの最初の奥さん、夏子さんが結核で亡くなる前、寅彦さんの日記に、「安岡叔母様浜より帰る。夏の熱いまださめず。」という文章が出てきます。この、安岡叔母というのは、上に書いた土佐勤王党の安岡嘉助さんの娘さんで、寅彦さんから依頼されて、種崎で静養しゆう夏子さんのお世話をしよったがやないろうか、という話が、安岡章太郎さんの「流離譚」にあるそうです。
寺田寅彦さんのことを勉強しよりますと、土佐出身の有名人、文化人は、かなり複雑に絡み合うちゅうことがわかります。頭を整理してかからんと、こんがらがってしまうくらい。
それにしてもあの、上手な文字でキレイにビッシリと書かれた「文助日記」、今一度読んでみたいです。