安田、神峯神社の天晴〔3200〕2012/01/19
2012年1月19日(木)小雨
ここは安田の神峯。こうのみねと読みます。この、険しい山の奥深くに、四国八十八ヶ所霊場27番札所、神峯寺さんが鎮座ましましちょります。その奥の院という位置付けで、標高450mの山腹に鎮座するのが神峯神社。大山祇命さんがご祭神。
安田の神峯さん、ということで県下一円から信仰され、神峯参りは、金比羅さん参りの土佐国内版、のような感じで流行ったそうです。とにかく険しい山の上。今日は県東部に用事があって、車で来ました。時間がちょっとあったので、せんばい急なくねくね道を登って登って登って行き着きました。
この神社の背後の上には、巨岩があります。燈明巌(とうみょういわ)と呼ばれ、太古から、夜半になるとその巨岩が青白く輝き光った、ということからこう呼ばれだしたにかありません。
困難、異変が起る前兆に、この燈明巌が光る、ということで、日清戦争、日露戦争、関東大震災、日支事変、太平洋戦争、昭和南海地震などなどの時、光ったと伝えられちょります。昨年の大震災の前にも光ったでしょうか。
さて、このお宮さんの、拝殿の下の灯籠。これを見たかったがです。
以前から、1867年、68年にかけて、土佐だけで使われたという幻の私年号「天晴」のことを書いてきました。
昨年10月10日の春野の天晴、10月28日の赤岡の天晴、10月29日の安芸の天晴などなど。この時期、土佐だけで使われたらしい私年号、天晴(てんせい)は、ここ、神峯神社さんにもあるのでありました。
この拝殿直下の石段登り口の両脇の灯籠。その両方に、
天晴元丁卯 五月吉旦
と刻まれちょります。これは慶応三年、1867年のこと。龍馬暗殺の半年前。
面白いことに、あの拝殿に向こうて右手に鎮座する龍田神社さん脇の灯籠には、慶應三卯年、という年号が。同じ年、この境内で、慶応三年の灯籠と天晴元年の灯籠がご寄進されちゅうことになります。
昨年10月29日にご紹介した安芸、春日神社は、安芸市土居にあります。昔は土居村。この、神峯さんの灯籠の台座を見ますと、この灯籠をご寄進したのも、安芸、土居村の皆さん。同じひとたちでしょう。安芸、春日神社に刻まれちゅうがは
「天晴元卯九月令日」
春野の御山所神社狛犬台座と同じ記載。同じひとたちか、関係の深いひとたちの手によるものでしょう。そして、この灯籠はその4ヶ月前、安芸、土居村の、たぶん同じひとたちによって寄進されました。
謎の私年号、天晴。どうやら、安芸、土居村の誰かが深く深く関わっちゅうことが明らかになってきました。誰でしょうか。