8ヶ月目〔3131〕2011/11/11
2011年11月11日(金)曇り
あれから8ヶ月。原発のこともあり、まだまだすっきりと復興に進まんがが、もどかしい8ヶ月目。ここ、久枝の海岸は、静かな静かな海。まだ、なかなか避難タワーや命山の建設には至らんようです。
さて、いつものように、安政地震津波から8ヶ月目の、宇佐、真覚寺住職静照さんの日記です。
安政二年七月五日 晴れ
今 朝、仏具とかの磨き物をした。朝10時過ぎに2回の小揺れ。こないだ、宇佐の地下役人が交替した。浦庄屋の仲川彦右衛門は志和へ行き、郷庄屋の久保添大吉 は津野山郷北川村へと所替えになった。当浦へは、須崎上郷の庄屋、安助が引っ越して来た。今迄、庄屋2人制やったがが、今年から1人になった。
と、いうことで、余震の回数は、だいぶ減って来た様子が伺えます。行政改革の一環でしょうか、それとも財政逼迫によるものでしょうか、庄屋の数が減らされちょりますね。
こ の月の14日の日記には、お盆の様子が描かれちょります。この日はどうやら台風で、大時化。初盆の家々でも、牡丹餅、素麺を準備しよったががおおかた中止 になったそうです。で、夜になっても参詣者は「影も見えず」。通常、大晦日には、寺には、檀家さんが斉米を持ってきたりしてお寺も潤うがですが、前年大晦 日は、地震直後ということで、米一合持ってくる檀家さんもなく泣く泣く越年、その涙が乾かんうちに、今年のお盆はこんな大時化になって、困り果てちゅう、 と日記にあります。「積気の発るほどの事にへ 是や寺々の貧盆なるべし」、貧乏と貧盆をかけちょります。こんな愚痴も言いとうなるような気持ちやったがで しょう。ただ、翌日は台風も過ぎ、「時節不相応におびただしく参詣有り」となっちょりますので、なんとかなったようです。
この頃の日記を見ますと、震災の影響をまだまだ引きずりながらも、日常生活に戻っていきゆう様がわかります。
ところで今日は20111111。1が6つ並ぶ日。目出たいですね。と、いうことは、百年後には、1が7つ並ぶ訳ですね。今、生まれゆう子供たちは、ひょっとしたら百年後、1の7並びを体験できるかも知れません。