誰も居ないダムの風景〔3127〕2011/11/07
2011年11月7日(月)曇っちょります
今日は、伊野から仁淀川沿いを北上、本川の長沢を抜け、寒風山トンネルを抜けて愛媛に来ちょります。今は松山ぞなもし。
ここは、本川、長沢の長沢ダム。眼下の川は吉野川。この道は、国道からあのダムの向こうへ抜けていく道路から枝道に折れ、あのダムの所で突き当たりになっちゅう道。右手に変電所のような設備があります。そこには、平成13年まで、四国電力の職員住宅がありました。
手 元に、島内英祐さんというカメラマンの「セピア色の吉野川」という写真集があります。1958年、写真を勉強しに行っちょった大学の卒業写真を撮影する目 的で、吉野川の河口から源流まで、写真に収めました。そして1978年、1999年、2009年と、同じ場所で定点観測の写真を撮ることになったのであり ました。最初は、そんなことは考えもせずに撮った写真が、貴重な貴重な吉野川周辺の変遷の記録になった訳です。50年の年月。山中のその移り変わりは激し く、色んなことを考えさせられます。道路も無いようなところに集落があり、そこにバスが通るような道路ができて便利になった、と思いきや、どんどんと人が 減っていって高齢者だけの寂しい集落になっていく模様とか。なかなか難しいです、中山間。
その写真集には、ここの写真もあります。1958年、セ ピア色の写真では。郵便配達夫が、蛇の目傘をさし、郵便袋を肩から下げて、向こうの、木造平屋の職員住宅へ郵便物を配達しよります。もちろん未舗装。 1978年の写真では、二階建てになった職員住宅に、バイクの郵便配達人が走っていきよります。道路は舗装されました。1999年の写真は、その時とメッ ソ変わっちゃあしません。
そして2009年の写真は、今日のこの写真と同じ。職員住宅はなくなり、変電設備は無人運転となって、静かな静かな誰も居ないダムの風景。
時の流れは無常であり無情です。