追手前小学校校区区民運動会も、アーカイブに 〔3112〕2011/10/23
2011年10月23日(日)良いお天気
ここは高知市立追手前小学校。今日、この運動場で、第39回追手前小学校校区区民運動会が開催されました。ひまわり太郎がこの小学校の生徒の頃、ひと際賑やかやった区民運動会も、途中、何年もの中断の期間があり、十数年前に再開して合計39回目を迎えたのでありました。
そして来年。
来 年は40回目にして最後の区民運動会になります。この眼の前の小学校は、再来年には閉校になることが決定しちゅうきです。高知の街の真ん中に位置するこの 追手前小学校の創立は明治5年。日本に学制が施行されたときにできた学校。高知街連合公立小学校という名前から追手筋小学校になり、明治24年に高知市第 三尋常小学校となりました。で、古い皆さんは「第三」と呼びますが、昭和22年に追手前小学校になっちょります。ひまわり太郎が行きゆう頃は、小学野球の チーム名が、追手前第三タイガースやったですきんね。
今日の区民運動会も、我が、与力町唐人町チームが勝手連覇しました。写真の協議は「追手前市 場」という種目。地元の大橋通商店街のお店屋さんに協賛して頂き、野菜や果物、干物などを並べ、小学生が落ちている札に書かれちゅう品名を見て袋に入れて 持ち帰る、という、こじゃんと追手前らしい競技でございます。
こんながも、もう、来年でおしまい。この校舎は、ひまわり太郎が卒業した後で建てられたものですが、すぐに取り壊されます。
街づくりとか、街の活性化とかは、一体どういうことなのかを考えさせられる、この学校の廃校。声が大きい経済界とかの意見は通りやすい。彼らは、眼の前の金がこじゃんと大切。しかし、将来を見据えた、街の豊かさを考えるのは一体誰なのか。
最近、街中回帰とか、街中居住を促進するとかして街の活性化を図ろうとか、取って付けたような議論がおこなわれよります。
誰が住むのか。
少なくとも、小学校がないような場所に、子供を持った家族が住むようになるとは思えんがですけんどね。