高知市立「龍馬の生まれたまち記念館」〔311〕2004/02/21
2004年2月21日(土)快晴です
今日も快晴。気温や日照は確実に春に向かってますね。暖かいです。
さて、今朝は高知市中心部から少し西へ行った「水通町」界隈をたつくってきました。藩政期、主に侍が住んだお城下の中心部を「郭中(かくちゅう)」、その東側、商人や職人が多く住み、魚河岸もあった地域を「下町(しもまち)」、そして郭中の西側の、商人や職人、それにお城下へ務める奉公人などが多く住んだ地域を「上町(かみまち)」と呼んでおりました。写真の水通町は、その「上町」にございます。
写真は、来月の開館に向けて建設が進む「高知市立 龍馬の生まれたまち記念館」。光り輝く立派な施設ですね。ここから数十メートル離れた場所が、坂本龍馬の生まれた家のあったところで、それにちなんで建てられよります。
この施設の建設については色々と紆余曲折がございました。地元史家が反対したんですね。その理由は、まず、高知県には「龍馬」の名前のついた記念館がもう既に2つあること。一級資料がそんなにたくさんある訳ではないので、いったい何を展示するのか。また、当初は龍馬の生家の記念館みたいなことで始まりましたので、同じ町内とは言え全然違う場所にそんなものを建てて誤解を招く、との批判もありました。また、龍馬生家復元が大きな目玉なんですが、その肝心の龍馬の生家がどんな間取りでどんな家だったのかまったく解っていないのに、想像で建てたりすると将来に禍根を残す、といったことも言われました。その後、ある程度の間取りが想像できる資料が出て来まして、とにかくそれに基づいて建てる、施設の名称も、「龍馬の生まれたまち記念館」にするということで、事業が進むことになりました。
高知市としては、市立の龍馬に関する施設がどうしても欲しかったみたいですね。
地元史家にしてみれば、「龍馬龍馬と騒ぐじゃないよ」といった感情でしょう。龍馬の施設(展示館のようなもの)はたくさん作るのに、その他の重要な歴史的遺産についてはほったらかしじゃあないか、という訳ですね。
行政としてみれば、観光客の呼べるこぎれいな施設建設が最重要な訳ですね。
と、申しましてもせっかく作られたものです。運営に期待しましょう。