今日も春野、天晴元卯九月令日〔3099〕2011/10/10
2011年10月10日(月)晴れ!
今日は体育の日。出張に出かけちゅう予定やったがですが、お客様のご 都合で延期になりました。そこで、今日の午後も昨日に引き続いて春野をたつくりまわってきました。面白いものだらけで、あっという間の春野RUN。今日も ご紹介したいことがいっぱいの中、選びましたのはこれ。
春野の西諸木(にしもろぎ)に、御山所神社というお宮さんが、小さな森に囲まれて鎮座まし ましちょります。この界隈は、天保時代の狛犬が鎮座しちゅう若一王子宮さんとかがあり、とにかく、古くから栄えてきたことがわかります。祠もどっしこ。そ の御三所宮の入り口に鎮座しちゅう一対の狛犬。その台座は、鬱蒼とした植物に隠れて見えづろうなっちょりますが、かき分けて撮影してみました。ご覧下さ い。
「天晴元卯九月令日」と刻まれちょります。このしゅっと近くに森神社という小さなお宮さんがございますが、その手水石には「天政元卯年九月吉日」とあります。これはいったい何なのか。
ど うやら、幕末土佐で、庶民たちが世直しの願いを込めてつくった独自の年号らしいのであります。天晴と書いたり天政と書いたり。てんせいと読むがでしょう。 「私年号」というやつです。この元号は、安田の神峯神社の灯籠やら、こないだご紹介した赤岡の須留田八幡宮の絵馬やら、土佐には結構痕跡があるようです。 色んな方が検証されちょりまして、どうやら、慶応3年のことにかありません。1867年。翌年は明治。慶応3年9月と言えば、翌月に実現した大政奉還に向 けて、龍馬さんや後藤象二郎さんたちが奔走しゆう時期。その夏、高知の城下の鏡川界隈では「のえくり」が大ブームとなり、夜な夜な庶民は踊って騒いで大変 革の世の中を不安なながらも生きていきよりました。
この「天晴」は「あっぱれ」とも読めます。
庶民の、良い世の中への希求が、こんな私年号をつくらせることになったがでしょうか。