神社には歴史がたくさん〔3076〕2011/09/17
2011年9月17日(土)雨
それにしてもよう降ります。ガイに降ります。最近の台風は、日本に近づいちょいてからなかなか進まんので、たまりません。ええかげんんいして欲しいですね。
こ こは、昨日と同じく上岡八幡宮。雨に濡れた緑がキレイです。拝殿前は、このような風景。左手前の狛犬は、大正12年に寄進されたもの。その向こうの四角い 石板は、大正13年10月。本殿の葺き替えと改築、玉垣が、氏子の寄進によって行われたことを刻んじゃあります。この狛犬と玉垣の寄進の間に、関東大震災 が発生しちゅうことになります。
狛犬の右手に見える、自然石を加工した手水。これは、年号が読み取りにくいがですが、宝永4年と読めます。そうと すれば宝永地震の年、1707年。そうとすれば、現在のこの神社で一番古いものになります。あの石が寄進されてすぐ、宝永地震と大津波がやって来たがで しょうか。上岡山の下まで押し寄せた津波を、あの手水の石は、眺めたかも知れません。
中央右手の灯籠は明治25年の寄進。日清戦争の前。帝国議会が開かれ、日本が近代化に向けて邁進し始めた時代。なんとなく時代の勢いを感じる灯籠。
大 正13年に寄進されたという玉垣がたくさん並んじょります。一番右端の玉垣は、陸軍少将、川田明治さんの名前が刻まれちょります。以前にもご紹介しまし た。川田明治さんは、この近在の出身で、陸軍士官学校10期。この玉垣を寄進した大正13年頃は、満州で、関東軍の参謀長でした。その後、川田さんは中将 に昇進して、満州事変の直前に退役。陸軍にとって、良い時代を過ごしたがかも知れません。
高知県出身の陸軍大将といえば、まず、マレーの虎、山下奉文大将。そして、最後の陸軍大臣となった下村定大将。
高 知県出身の中将となると、重要な役割を果たした人物がたくさん居ます。なんと言うたち、まずは、谷干城さん。自分でやめんかったら、間違いなく、大将はつ とめた人物。今年、7月29日のにっこりに、谷干城さんのすごさを書いちょりますき、ご覧になってみてください。その他、永田鉄山と同期で、こじゃんと優 秀やった小畑敏四郎中将。そして忘れちゃあならん人物が、森赳中将。終戦時、近衞第一師団長。終戦の日8月15日未明の、いわゆる宮城事件と言われる戦争 継続を狙う陸軍過激派によるクーデターで、それへの参加を拒否、殺害された森中将。森中将の断固たる姿勢がなかったら、8月15日は、どうなっちょったか わかりません。立派な郷土の先人です。