満月の下の雑喉場橋〔3071〕2011/09/12
2011年9月12日(月)晴れ
昨日、とある会合で、なんでもない日常の写真や記録を残して行くことの大 切さを話しあいました。例えば、昔の記録とかでは、残そうとして残されちゅう大切な分書類よりも、保古にされたり再生利用されたりして偶然残された文書の 方が、ずっと面白いものが多いということ。そこには、そのときの、まさに「なんでもない」、土佐弁で言うところの「なんちゃぢゃない」日常が書かれちょっ たりして、実に貴重な訳です。
そして、そんな昔の話ぢゃあのうても、そんな事例はどっしこあるがです。昭和の頃のなんでもない風景写真や日常を写 した写真が、今見てみると、ものすごい貴重な場面であったりします。こんな建物があったがや、こんな田んぼばっかりの風景やったがや、こんな服着いちょっ たがや、などなど。ですきに、今、現在のなんちゃぢゃないことを残していくことは、時間が経過することで、とてつもない大切なものを残していくことになる かも知れん訳です。
ここは今朝の雑喉場(ざこば)橋。北詰のちょっと東から撮影しました。橋の上に満月。鏡川が美しゅう輝きよります。この橋の北 詰にも、かつて水丁場の標柱がありました。藩政期初期、水防を目的として鏡川の北岸が12の区域に分けられ、組織化されました。その、区域の境界を示す石 造りの標柱。今でもいくつか残されちょりますが、一番河口部にあった雑喉場の標柱は、昭和60年に撤去され、どっかへ行ってしもうたそうです。昭和中期の 鏡川を撮影した写真集をみると、その標柱が見れます。この、広く大きな道路をつくる際、そんな標柱を撤去してしまうというセンス。取り返しはつきません。 その写真記録が残っちゅうだけでも、有り難い話。
さて、この写真は「満月の朝」ですが、「満月の夕」という歌があります。いくつかのバージョンが ありますが、有名なのが、ヒートウェーブというバンドのもの。阪神淡路大震災の後つくられた歌。被災地への思い、そして応援したいが何もできない自分への もどかしさ、といった内容で、そこから、復興への希望の光をそれぞれ見いだしていこう、という気持ちになる歌です。
今週末、17日の土曜日の夜は、被災地から3組のミュージシャンを迎えての前夜祭、そして18日の日曜日は、街中たくさんのステージで、高知街ラララ音楽祭。その夜の後夜祭のスペシャルゲストは、その、ヒートウェーブです。