法円坂建物群で妄想する〔3069〕2011/09/10
2011年9月10日(土)晴れてまんがな
てな訳で今朝は大阪。昨日お昼の飛行機でやって来ました。ちょっと涼しゅうなりよりましたが、また暑さが戻ってきたようで、こじゃんと蒸し暑い大阪。朝、大阪城界隈をたつくりに行っちょりましたが、汗が吹き出ました。
し かしあれですね、大阪、たつくればたつくるほど、その悠久の歴史を体感できてすごいです。大阪城は、太古の昔は古大阪湾に南から突き出してきた半島、その 後、上町台地と呼ばれる高台の先っぽに位置します。大阪城から西や北へ行くと、ぐっと土地が低うなります。谷町筋などは、谷底感が満載。それで谷町ながで しょうか。
テレビのブラタモリという番組で、タモリさんが、昔の地形とか古地図とかを見ながら町を散策しよります。あの感覚、実にわかります。そんなことを考えながら町をたつくると、意識は昔へ飛んでゆき、妄想の世界に浸れるのでありました。
大阪も、実に実に地形を体感できる町であり、また、複雑で濃い歴史が身体に襲いかかってくる町ですね。
こ こは、大阪城の南西、大阪歴史博物館の前。ここに、ご覧のような建物が立っちゅうがをご存知でしょうか。こんな街中にある遺跡、法円坂建物群遺跡です。5 世紀頃と言いますき、あの、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)とか誉田御廟山古墳(応神天皇陵)とかの時代でしょうか。あの巨大な古墳をつくることができる程の勢 力をもった大王が、難波の海沿いに、倉庫を立ち並べたがでしょうか。16棟以上の高床式建物が東西方向に整然と並んじゅうそうです。このしゅっと北側が海 ということで、港湾倉庫という意味合いがあったでしょうか。と、いうことは、中国とかとの貿易が、かなり盛んやったということでしょうか。
倉庫というのは富の蓄積。貿易による倉庫というよりは、民衆から徴収した税を保管しちょく倉庫やったがかも知れません。大きな権力をもった大王の時代、税を徴収する仕組みが整うてきた時代かも知れません。
ここに、このような建物が16棟以上立ち並んじょった光景を想像しつつ、いろんなことを妄想しました。大阪、恐るべし。