三島村大字物部、上岡〔3065〕2011/09/06
2011年9月6日(火)爽やかな朝
涼しい朝でした。涼しい風がこれほど吹いた朝は久々。秋がやって来よります。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮。夜明け前の、虫の音だけがきこえる静かな境内。拝殿の灯りは、常夜、灯されちょります。
こ の八幡様は物部川の東岸にある訳ですが、氏子は、西岸にも広がっちょります。いや、ひょっとしたら西岸の方が多いみたいです。それは、この上岡地区が、西 岸、物部の一部であったから。こないだも書きましたが、昭和17年、立田村、三島村、田村が合併して日章村になる際、三島村の大字物部のうち、上岡が野市 町に分離されたという訳です。
たぶん、大昔、物部川の本流がもっと西やった頃は、物部川東岸の同じ集落やったことが考えられます。もっとも、昔は、物部の河口は行く筋もの流れになっておったがでしょうけんど。
そんな訳で、物部川の対岸にあれども、ここ上岡の八幡様はひまわり乳業の氏神様ということです。
し かしあれですね、昭和17年まで、ここが三島村の一部やったとは、予想外です。今の皆さんは、上岡と言えば完全に野市分というイメージでしょうき。この八 幡様の西側に、東へ渡る渡舟場がありました。参道は、そちらの渡し場へ下る方面にもつながっちょった痕跡は、今でも見れます。
上岡は、吉原とかか らは一段上がった河岸段丘上の集落。で、結構海抜があって、安政の南海地震でも、その段丘の上の集落は助かっちゅうにかありません。しかし、襲うてくる津 波の規模を予想することはできんなりました。この界隈で見てみると、高い場所は、この上岡山しかありません。近所の皆さんは、この上岡山を命山と想定し て、逃げ登ることを考えちょかんといかんでしょう。上岡山は神岡山ですき。
ところで一昨日の日曜日、県下で一斉に避難訓練が行われました。海岸部では、高台に逃げ登ることを実際にやってみて、山道が狭いなどの課題がわかってきました。いろんなことがわかる為にも、訓練はやっていかんといかんがですね。
あ る避難場所の山では、訓練の想定で一時間山で待機したそうですが、蚊がすごかったそうです。命が助かれば蚊くらい、ということですけんど、色んな季節、色 んな条件があり得る、ということを考えちょかんといかん、ということもわかりました。夏と冬では、逃げる条件が違うてくることも想定しちょかんといけませ ん。想定外は、許されんなりました。