明治41年のはりまや橋のホンモノの欄干〔3052〕2011/08/24
2011年8月24日(水)晴れ!暑い!
暑い夏の一日。まだまだ稀にではありますが、ツクツクボウシが聞こえるようになった高知も、秋に向かい一歩づつ。
ここははりまや橋。交差点の北東のビルの北側。昭和40年代まで、ここに堀川が流れ、この西側に「はりまや橋」が架かっちょりました。
江ノ口川のパルプ工場の廃液でドロドロになった堀川は、「臭いものにフタ」で埋められ、今はこのように生き物のいない人口池のある細長い公園になりました。
今、赤い。それっぽい欄干の偽物がお菓子の浜幸さんの北側に置かれ、観光客さんが意味も判らず撮影するポイントになっちょります。
純信お馬の、幕末動乱期高学歴僧侶駆け落ち事件の顛末は、こじゃんと興味深く、時代が龍馬さんたちの時代と重なるので、世相的にも面白い話ではありますが、そんなこととは関係なく、公園に飾られた何の歴史的背景もないそれっぽい偽物を観光スポットにしてしもうちょります。
今、 この元堀川を復元し、水のある街づくりをしていこう、という話が、一部で盛り上がり始めました。時間も労力もお金もかかるでしょうが、地道で、継続的で、 想いに溢れた取り組みがなされていけば、いつか、実現していくかも知れません。やはり取り組む皆さんの熱い想いでしょう。
こないだ、高知パルプ生 コン事件40周年記念シンポジウムで、法政大学の陣内先生が、水辺と歴史文化を大切にして街が再生していく、という講演を、実例をあげながらなさっておら れました。高知の、新堀川を塞ぎつつある姿を見てビックリされちょりましたが、陣内先生のご提案では、一度、あの暗渠の下をボートで探検してみてはどう か、とのことでした。なるほど。エイですね、高知の「元」堀川、新堀川探検隊。そこから、何かが始まるかも知れません。
この写真の欄干は、ここが堀川やった時代、実際に架けられちょった橋の欄干のホンモノ。明治41年架橋と刻まれちょります。この欄干では観光客が集まらないので、あんな赤い欄干を創ったがでしょうか。