5ヶ月目〔3039〕2011/08/11
2011年8月11日(木)晴れ!
今日で5ヶ月。まだまだ大変な状況が続きますし、原発問題は尾を引くば かり。しかし、生活はしていかんといかんし、前に向こうていかんといけません。宇佐、真覚寺住職の静照さんの日記から見てみます。安政南海地震大津波を、 宇佐の町が被災してから5ヶ月目、安政2年4月5日です。
曇り お昼前から小雨が降り、午後3時過ぎには大雨になった。1度、小揺れ。夜10時頃に中揺れ、夜中の2時くらいにまた中揺れがあった。風雨が激しい。
前日、4月4日は、
薄 曇り 朝9時半から11時半ばあの間に2回小揺れ。お昼前、西法寺から直人が来た。徴賢くん、御畳瀬へ行く。今年は国方(くにかた)役所よりのお達しで、 お遍路さんの入国が止められちゅうので、去年から一人もお遍路さんがやって来んき、たまるか言うばあ寂しい、とのこと。お遍路さんをアテにしちゅう札所の お寺とか遍路宿とかは、大いに迷惑しちゅうにかあらん。夜8時ばあに一度小揺れ。風はないけんど冷やい。
以上、土佐弁読み下し。5ヶ月経過して も、余震はずうっと続きよります。で、伝染病の予防という側面もあったがでしょうが、お遍路さんの入国が禁止されて、関連のお寺さんとか宿とかが困っちゅ う様子が伺い知れます。やはり、震災復興には、経済がまわるようになっていかんといかん、ということでしょう。
高知は昨日今日とよさこい祭り。震 災直後には、今年は中止にしたら、といった議論もされましたが、自粛して経済をチジコマラセるがはかえってイカン、ということで、今年も賑やかに開催され ることになりました。それぞれ、いつもとは違う、被災地への想いを胸にしてのお祭りとなりました。よさこいは、元々、ひまわり太郎の母方の祖父が商店街活 動をしよった戦後、南海地震の後、瓦礫の中からなんとか元気を出して行こう、ということで始められたと聞いちょります。ですきに、今年はやらんといかん かったがでしょう、どうしても。
高知のよさこいの醍醐味は、何でもありの自由さと、お客さんとの近さ。商店街をこのように練り歩き、一体感をもって盛り上がるがが何とも言えんがです。ステージとかで、ダンスだけを見続けるがは、ちょっと違います。創作ダンスの発表会やないがですきんね。
音楽も踊りもなにもかも、それぞれの趣向で思い切り楽しむこと。それが観るヒトにも伝わって、楽しさが街中に溢れかえるがが高知のよさこい。
以前、バンドマンとして地方車に乗っちょった時代が10年ちょっとありました。ホーンセクションの入った、ちくとファンク系統のダンス音楽を主体としたバンドで、踊りやすかったと思います。ダンス音楽風味ですきに。
色 んな事件もありました。地方車の発電機が壊れ、どうしようもなくなって軽四に発電機を積んで長いケーブルでつなぎ、地方車と発電機積載軽トラの連結車両で なんとかなった事件。雨水が地方車の屋根のシートにたまり、それがザブンと音響のミキサーにかかって動作不能となって、それを必死でバラしてドライヤーで 乾かし、追手筋会場の審査の踊りにギリギリ間に合うてなんとかなった事件。興奮したキーボードのTくんが、追手筋会場で地方車からキーボード (YAMAHA DX-7)をぶん投げ、地方車の横に落ちてトラックの後輪が踏み越えた、しかし、その後はキーボード無しでなんとかなった事件、などなど。
昔、このアーケードは、踊子隊が対面通行でした。東行きと西行きが擦れ違う際には、大音響が入り乱れ、すごかったですよね。音楽担当としては、相手に負けんように音を出すがに必死でした。
何でもありの音楽や踊り、パフォーマンスに若者達が燃え上がる風景。今のように整然としちょらず、すべてが混沌としちょった時代。あれも祭りが盛り上がって行く過渡期といえばそれまでですが、実に実に楽しい混沌でした。