本当の歴史〔3024〕2011/07/27
2011年7月27日(水)雨のち晴れ
降ったり照ったりの忙しい天気。しかしまあ、梅雨が明けてから、よう降ります。
こ こは今朝の上町、龍馬さんの生家の前。坂本龍馬誕生地という大きな案内板が見えます。歩道の奥に、大きな碑がたてられちょりますね。その向こう隣に「金子 陶器店」という店の看板。大正5年、金子楠馬さんが、龍馬さんの生家跡の土地建物を購入して、陶器商を営んだのに始まるようです。その金子楠馬さんの1歳 違いの兄が、あの金子直吉さん。鈴木商店の大番頭として、鈴木商店を、三井三菱をも凌駕する世界的貿易商社に育て上げた鈴木直吉さん。金融のバックボーン を持たなかったが故に、第一次大戦終了後、関東大震災の被害もあって鈴木商店は破綻しましたが、神戸製鋼、IHI、日商岩井などなど、今に残る一流企業の 元は鈴木商店です。直吉個人は、まったく個人的蓄財に興味がなく、土地もまったく所有しちょらんかったそうですね。その後、負債も完済しちょります。すご い人物。
さて、以前、龍馬生家が戦前まで増築されながらも残されちゅうことがわかり、そこに住んだことのある人たちの証言や閉鎖謄本とかから、どんな家やったがか概ね復元できた、という話題がありました。それに基づいて、桂浜の龍馬記念館に生家の復元模型もつくられちょります。
しかし。
土 佐史談今月号に、それに対しての異論を、Kさんというひまわり太郎が尊敬する歴史家さんが書かれちょります。その、生家を想像する重要な素材、証拠となっ た閉鎖謄本には、実はそれより以前の土地建物の変遷が記載されちょったという衝撃的事実。遡ると、明治の頃には、母屋10坪、はなれ8坪という小さいもの であったことが判りました。そんな小さい家が豪商才谷家の分家、坂本家の建物であろうはずがない。そして、時系列で、その後に出てきて登記されちゅう建物 は、当然その後に増改築されたもので、益々龍馬さんの家やった訳がない、という主旨。なるほど、説得力があります。
つまり、龍馬記念館に展示されちゅう生家復元模型は、あの金子直吉さんの弟が住みよった家の復元模型、と表示を変えないかんがかも知れません。
ホントのことを探るがは、まっこと難しい。簡単に「これが事実だ!」などと言えんがが歴史ながでしょう。