三宝山は金剛山で、金剛道寺は金剛童子〔3006〕2011/07/09
2011年7月9日(土)暑い!
梅雨明けした空には、夏の雲。北の山からは入道雲が沸き立っちょります。まだ、かなりの湿気を残した状態で夏の日差しが照りつけます。
そ んなお天気の中、野市、三宝山を駆け上がってきました。帽子を忘れたがと、補給する水分を持って行っちょらざったがで、命の危険を感じてしまいました。そ れっぱあ暑かったです。この山を登るスカイラインには木陰が少なく、頂上近くなると頭がクラクラしてきました。ホント、暑かったです。
写真は、頂上ちょっと下の道路がら山頂方面を見上げたもの。時刻は正午。頭上に強烈なお日様。左端に、香長平野のランドマーク、三宝山スカイレスト横の、西洋のお城の格好をした資料館跡が見えます。
この山から西を眺めると、土佐の中原全部、岡豊山、とっと向こうに朝倉城の山も見晴らせます。見張り台を置いちょくには絶好の山。しかし、標高259.9mありますき、戦国武将が本拠とするにはちくと高過ぎます。
こ の山、スカイレストやスカイパークの名称がそうやったせいもあって、今では皆さん三宝山(さんぽうざん)と呼びます。が、どうやら、正式には「金剛山」ら しいです。昔、山頂には金剛道寺というお寺さんと竈戸神社が鎮座ましましちょりまして、その神社は三宝社とも呼ばれたそうで、それが三宝山という名称の由 来。
金剛道寺はこんごうどうじで、金剛童子。地元では金剛童子の方が通りがエイようです。山も、金剛童子山と呼ばれたこともあったにかありません。
金剛も、金剛童子も、熊野信仰に関係が深うございます。以前も何度か書いてきましたが、土佐は、熊野信仰の色合いが非常に濃い土地と言えます。この屹立する険しい山に、熊野信仰、修験道の施設がつくられたがは当然やったかも知れません。
さ て、ところで、この山の西南麓に、大谷神社という幽玄なお宮さんが鎮座ましましちょります。何度ももご紹介したように、旧暦6月14日から15日にかけて の深夜、五人の裸男がパンツ一丁で、コシキで焚いた蒸し飯にみそ田楽を添えた五膳を深夜本殿に供える、古くからの祭が行われます。知人が総代さんに確認し てくれたところ、これは完全非公開で、関係者のみでしめやかに行われる古式祭やそうです。なるほど。神事ですき、そいう場合もあります。静かに、着実に、 ずうっと伝えていってもらいたい神事です。土佐には、そんな神事、民俗が、しずかに、しまかに、ずうっと、どっしこ伝えられていきゆうと思われます。素晴 らしいですね。