水辺に住むということ〔2973〕2011/06/06
2011年6月6日(月)晴れ!
梅雨とは思えないような爽やかな朝。ここは会社の東の物部川。土手の上から朝日の昇る三宝山を撮影してみました。1週間ほど前の台風の影響で、まだ水量が多い物部川。昨日、この物部川で、ダイワ鮎マスターズという鮎釣り大会が開催されたにかありません。まだ、ちょっと濁りの残る物部川ですけんど、今年はまあまあの状態が続きゆうらしいですき、盛り上がったがやないでしょうかね。
昨日、書きましたように、高知パルプ生コン事件40周年の記念シンポジウムが開催されました。陣内先生のお話は、高知にとって、明るい未来を指し示してくれるものでした。街中に、ヒトが集う賑わいは、絶対に取り戻していけると確信しましたです。高知は、基本的ににオープンスペースで呑んだり食べたりホゲたりするがが大好きです。街中にヒトが住み、楽しみ、歴史と文化と自然の香りを醸し出せば、それを羨ましがるヒトが集まり、最終的に結果として観光客さんも増える、というがが理想的。
昨日のシンポジウムは水辺の街がテーマ。水辺と申しましても、このような大きい川もあれば太平洋もあれば浦戸湾もあれば堀川のような運河もあれば小さい水路もあります。その、いろんな水の流れが組合わさり、その岸辺ににぎわいが創出されていく。道路も一緒。幹線道路もあれば片側1車線の道路もあれば路地もあれば石畳もあれば迷路のような小径もある。戦後、大きい道路ばっかしつくって車を優先し、効率だけをかんがえてきたがが、街としての賑わいや面白みのない街をつくってきた、ということ。最近、やっと東京とかでは反省するようになってきました。街の楽しさ、住みやすさとはどういうことか、を、やっと考えるようになって来た訳です。
陣内先生、高知の街を見て、実に可能性のある街であることを力説して下さいました。うれしいですね。頑張らんといけません。ただ、新堀川を覆う4車線道路ができゆうがをご覧になって、「これはひどい、今の時流でいえば、あり得ない」と、嘆いておられました。これが、普通の、人間としての感覚です。