大正11年、安芸、須崎までの所要時間〔2945〕2011/05/09
2011年5月9日(月)晴れ!
ここは今朝の野市。旧道、つまり商店街。昔、南国バイパスができるまでは、この道がメイン国道でした。藩政期は、このもう少し北、深渕に渡船があり、物部川を渡るようになっちょりました。南へ行くと、いつもの上岡八幡宮のところに渡船があったという話はビッシリ書いちょります。
さて、大正期になると、乗合自動車など、自動車交通が少しづつ整備されてくるようになりました。ひまわり乳業の前身の牧場が始まった大正11年、昨日もお話した文学者、馬場孤蝶さんが、離高して30年振りに高知にモンて来まして、安芸とか杉とか須崎とか高岡とかに自動車で往き来しちょりますね。そのことを綴った日記を読んでみますと、意外に、当時とはいえ自動車も速いことがわかりました。例えば。
8月17日には、午後4時に高知を出発して、6時頃には安芸に着いちょります。今、バイパスを経由して車で走っても1時間10分~20分、混んじょったらもっとかかる道を、当時の未舗装道路、ガタゴト自動車で2時間で走っちゅう訳です。ひまわり太郎が子供の頃、田野へお墓参りに行くがに、片道3時間はかかりよったと記憶しちょります。昭和40年ちょっと。大正11年頃は、自動車が通ることはほとんどない道を、渋滞もなく快走しよったことがしのばれます。その際に、この道を通っていったことでしょう。もう、物部川には橋が架かり、ここがメイン国道になっちょったですろうきに。
ちなみに、電車が後免まで全通したがは大正14年。大正11年現在では、まだ完成しちょりません。
ビックリするのは7月31日。9時頃高知を自動車で出発、伊野、佐川を経て10時過ぎに須崎着、となっちょります。これは速い。大正末期になってくると、もう、これだけ交通は便利になっていきよったにかありません。認識を新たにしました。まあ、バス賃は高かったでしょうけんど。
ちなみに高岡へは、自動車もあったようですが、伊野まで開通しちょった電車に乗り、そっから人力車で向こうちょります。