現在を支え、未来に連れていってくれる、先人の努力〔2933〕2011/04/27
2011年4月27日(水)曇り時々雨
昨日、野中兼山さんの事績と小水力発電のことを書きました。昨日撮影した場所の右手、河岸段丘の上はこんなになっちょります。ここが、野中兼山さんが指揮して築いた三叉(みつまた)。藩政期初期の執政、兼山さんは、物部川に巨大な堰を構築して、そっから長い長い水路を何本も開鑿、香長平野を潤しました。段丘上の、何もなかった野原が、市が立つ程栄えることになったので野市。
この上井(うわゆ)が完成したがが1644年。正確に申しますと、現在から367年前。昨日も書きましたが、この地点で3本の水路にキレイに分岐させちょります。
当時の技術で、それぞれにうまく水が行き渡るように設計したがはすごいと思います。そして、その三叉は、367年経った今でも、ほとんど姿を変えずに現役で役目を果たしよります。野市中を張り巡らされた水路も、擁壁がコンクリートになったくらいで、ほとんど変化しておりません。
昨日も書きましたが、400年近い歳月が経過しても現役で利用されるインフラ、というのは何なんでしょうか。あらためて考えてみると、本当にすごいことがよくわかります。大革命に近いですね。兼山さんが土佐のあちこちでおこなった灌漑治水や港湾土木工事で、現在の高知の姿が形作られちゅうと申しても過言ではない。しかし、その使役の為に庶民にも恨まれ、ライバルにも恨まれて悲劇的な結末を迎えた野中家。
自分がもう生きていないような将来のことを考える、ということは、政治の使命である、ということが、この三叉を見ると実感できます。
そしてこの用水が、ひょっとしたら、これから期待されるエネルギー技術、小水力発電に利用できたら更に素晴らしいですね。先人の、未来を見据えた血のにじむような努力が、我々を支えており、将来に連れて行ってくれさえする、ということを忘れず、驕らず、控えめに生きていきたい。