鏡川、唐人豆腐、のえくり、エネルギー〔2931〕2011/04/25
2011年4月25日(月)快晴!
良いお天気。ここは、夜明け前の鏡川沿い。潮江橋と天神橋の間の北岸、最近取り壊されたホテル跡地から、潮江橋方面を撮影してみました。前方に潮江橋の灯りが見えます。
こうやって空き地になると、全然違う風景に見えます。以前、何度も書いてきましたが、ここは唐人町。秀吉の朝鮮出兵に同行した長宗我部元親さんが、朝鮮、秋月城主の朴好仁さんの一族郎党を連れてきたことに由来する町。山内の殿様になり、鏡川北岸の堤防に、その子孫達を住まわせて、朝鮮式の豆腐づくりをさせました。太平洋戦争の頃まで、朝になると、この界隈には豆腐の香りがたちこめちょったそうです。
その豆腐屋さんがどんなになって並んじょったのか、こうやって堤防が空き地になってみますと、想像しやすいですね。こんな感じの川沿いの堤防に、数十軒の豆腐屋さんが並んじょった訳です。そう言えば、昔は、豆腐は朝食べるものやった、という話をよく聞きます。冷蔵設備も防腐剤もない、そして製造過程での衛生管理もままならない川の土手での豆腐屋さんですきに、朝つくった豆腐は、朝食べる用のモンやったとか。夜、冷や奴でちょっと一杯、てな感じにはならんかったがでしょう。
幕末から明治にかけての夏、夜になると、この河原に大勢の老若男女が集まり、賑やかに飲んだり食べたり「のえくり」まわったりしよりました。時代が激変する世相の中、全国で巻き起こったええじゃないかの高知版。
今、夏の電力不足が懸念されております。昔は、暑い夏の夜は河原に出て涼み、飲み、踊り、食べて楽しみよった訳です。エネルギーを使わんでも、それなりに楽しみはあったようです。
今回の震災を契機に、ひょっとしたら、人間の生活というものが劇的に変化できるかもしれません。新鮮なものは新鮮なうちに食べる、暑い夜は河原で涼む、無駄なエネルギーは使わない。