孕のジャンと地震の関係〔2929〕2011/04/23
2011年4月23日(土)時化模様のち晴れ
今朝は時化みたいでした。春の嵐。丁度通勤通学の時間帯に強い雨と強風で、大変んやった方も多いがやないでしょうか。その台風みたいな天候もお昼前にはすっかり回復し、青空が広がる心地よい土曜日になりました。
ここは、タナスカと弘化台を結ぶ橋の上。南の、浦戸湾を撮影してみました。右手が、西孕の突き出た部分、左が東孕の突き出た部分で、浦戸湾が一番狭うなっちゅうところです。
このにっこりでも、「孕のジャン」のお話を何度か書いてきました。藩政期後期に活躍した国学者、鹿持雅澄さんの「土佐今昔物語」に、次の記述がでてきます。現代土佐弁に読み下すと、「孕のジャンというこじゃんと珍しいもんがあらあよ。誰っちゃあ、その形を見たもんはおらん。そいたあは、夜半にジャーンと鳴り響いて海上を過ぎていくもんながよ。漁業をしゆうもんが、夜半、小舟を浮かべて釣りを垂れたり網を打ったりして、いっぱい魚がとれよっても、このジャンが海上を過ぎていったら、魚が騒ぎだいて、その夜はひとっちゃあ獲れんなる。高知界隈の方言に、ものの破談になることをジャンになると言うけんど、この、海上を過ぎていくもんからきた言葉にかあらんと、伝えられちゅうがやと。」
ジャンの記録は天保年間からあるそうで、昭和にはいってからは、昭和21年の南海地震の2ヶ月後、釣り人は、鉄筋を何十本か束ねたもんが倒れたみたいな音がして、それからひとっちゃあ魚が釣れんなった、という話が残っちょります。
かの寺田寅彦先生も指摘したように、これは、浦戸湾中の断層がズレることによって生じる地鳴りという説が有力になっちょります。
安政の南海地震の頃、頻繁にジャンが聞こえた、という話もあり、地震との関係があるがやないろうか、と推測されちょります。不思議な怪奇現象としての言い伝えも、科学的に根拠があり、役立つものかも知れません。