余震の記録〔2918〕2011/04/12
2011年4月12日(火)快晴
昨日ご紹介した、真覚寺日記の宇佐の町を、北側の山から撮影してみました。嘉永7年11月5日の地震と津波は、この町のかなりの部分をを流していきました。
昨日、福島、茨城で震度6弱の強い余震がありました。小さい揺れはずうっと続きゆうそうです。この日記を読むと、あれだけの規模の地震になると、数年間は余震が続くことを覚悟せんといかんようです。余震と申しましても、かなり強いものもあります。真覚寺日記には、地震から54日目の12月30日、かなり強い余震があったことが書かれちょります。
12月30日 少雲
朝、寝坊をしてしもうて、8時前にようやっと起きだした。兄弟と本堂に出て勤行をしよったところが、思いがけず大地震。11月5日の大地震とまったく同じ。本堂の柱が狂うてゆがみ、法衣を着いたまんま本堂から飛び出たがよ。家人は、みんなあ、家を出て山へ逃げ上った。お寺では、ご本尊さまを長持ちに納め、庭の前に出した。庭で朝食を食べ、散らばった道具を片付けた。津波が来んか、気を付けもって。 2時間くらいの間に30数度揺れた。全部、小さい揺れぢゃあ無い、中程度の揺れぢゃった。地震の長さは、11月5日のがより遥かに長く、なかなか揺りやまん。揺れもさることながら、音がものすごく、タバコを吸う暇もない。しかし、そんな中、つき残しの餅をついたり、注連飾りをしたりするモンも居った。人それぞれ、色々あるもんやと、面白かった。今日の揺れに比べたら、12月10日とか12月14日とかの余震は物の数ではない。海の状況は変化無く、津波はなかった。海岸縁りに小屋掛けして住みよったもんは、手道具を持って、津波がくるぞ、と叫びながら山へ逃げ上がる。後略
こんな感じで、2ヶ月近く経過しても、本震に近い余震がありよったことがわかります。今回も余震は長期化します。もう、いいかげんにして欲しいと思うても、どうにもならんががやりきれません。粘り強く、できることを少しづつ、です。