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浦戸、稲荷神社の鳥居に刻まれた赤い文字〔2896〕2011/03/21

浦戸、稲荷神社の鳥居に刻まれた赤い文字

今日は、久々に桂浜方面までたつくりに行っちょりました。雨が降るかと思いましたが、ほとんど降ることもなく、気温もあがってきました。

浦戸の港は、桂浜や太平洋から言うと、浦戸の山の北側にあります。太平洋から直接波を受けることの無い、静かな漁港。桂浜の駐車場から浦戸漁港、そしてその西にかけて、浦戸の町があります。もちろん全部浦戸湾に面しております。

その町は、ひまわり太郎の母親が生まれ育った町。その町で、12歳か13歳の頃に、南海地震に遭遇しております。浦戸は、町の後ろにすぐ山があり、そこへ避難できます。

地震発生後、誰とはなしに山へ逃げえ!と叫び始め、山へ逃げたそうです。そっから見たのは、眼下をどんどんと船が浦戸湾の奥へ流されて行く姿。今でもよう忘れんそうです。

ここは、その、母の家からちょっと魚市場寄りの、稲荷神社。右上に見えゆうのは浦戸大橋。この、海に突き出した小山の上にお稲荷さんが鎮座ましましちょります。この山も、津波の際の避難所になっております。今までの地震では、この山の上までは津波も来んかった模様です。あくまでも有史以来のことではありますが。

この左手から、急な石段を登っていくと、小山のてっぺんにお稲荷さん。文化年間の灯籠が、てっぺん近くにあって、安政南海地震の際には流されんかったことがわかります。しかし、この左下に赤い文字を刻んだ石柱が見えますでしょうか。これは、破損した鳥居の片方の柱。向こう側から見ると、文政年間に建立されたことが刻まれちょります。この赤い文字を読むと、大黒屋嘉七さんという方が文章を刻んじょりまして、安政元年11月に大地震と津波があり、大地震には必ず津波があると心得るべし、という内容。この鳥居は、その安政地震の津波で倒壊したがでしょうか。

母の見た、昭和の南海地震津波は、南海地震の歴史で言えばかなり小さい部類だそうです。それでも、どんどんと海を船が流されていく恐ろしい風景やった訳で、安政地震ではその数倍、宝永地震では、さらにその2倍の規模の津波やったとされます。今回の東北関東大震災ではそれ以上。宝永の際には、この対岸の種崎は、一軒残らず流されて更地になった、という記録もあります。

地震→津波→どこへ逃げるか、どうやって逃げるか

これを様々なパターンで想定できるかどうか。


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