命山、琴平山の玉垣〔2892〕2011/03/17
2011年3月17日(木)晴れ
高知でも、北の山を眺めると雪を冠っちゅうくらい冷え込みました。被災地では燃料も電気もなく、寒い寒い状況になっちゅうようです。辛いですね。何かお役に立てることがないか、と、もどかしい思いで一杯です。
ここはひまわり乳業のある南国市の琴平山。浜改田と十市の間の北側にある山。久枝、前浜、浜改田、十市は、土佐湾に面した海沿いの町。町は、海岸から少し盛り上がった小高い場所に東西につながっております。ここ琴平山は、その海岸部に住む皆さんの、命山。宝永の大地震などの際、琴平山に避難して助かった記録が残されちょります。しかし、この山からは遠い集落も多いです。
今回わかったことは、ここ数百年でものごとを考えたらいかんということ。想定すべきは2000年、3000年単位での地震規模。すると、対策として考えんといかん優先順位は、避難する場所、施設を確保することしかありません。防波堤をつくることも大切ですが、今回みたいな巨大津波には無力であったことがわかりました。自然の威力を、人間の力で押さえ込むなどというのは無謀でした。どうやって逃げるか、それを、まずは考えんといかんでしょう。
この命山、琴平山のてっぺんに、琴平神社が鎮座ましましちょります。海の安全を守ってくれる神様。この神社には、これもやはり安政5年、安政大地震のことを記した玉垣が寄進されちょります。3日前にご紹介した飛鳥神社の近く、岸本新町の繁盛講という講中が、ご寄進したもの。とにかく後世に津波のことを伝えたかったことがよくわかります。
ご覧のように、昔の、崩した文字で書かれちゃある上に、少し風化で見えづらいので、よう解読しませんでした。どっかにこの文章を記録しちゅう資料があると思うので、今度探してみます。
高知空港の滑走路の辺りに、戦争の頃まで、命山があったという話は以前書きました。今は飛行場をつくるために無いなってしもうちょります。あの南に住む皆さんは、高知空港の空港ビルまで逃げる時間はないと思います。高知の海岸部に、避難する施設をつくることが急がれます。M9以上を想定して。