オープン戦の春野、芳原城の工夫〔2874〕2011/02/27
2011年2月27日(日)晴れたり曇ったり
今日は、春野球場で、オリックスとタイガースのオープン戦をやりよりました。阪神主催試合を安芸球場でやっちょいて、翌日、高知でオリックスの主催試合をやる、というがが恒例。今日はオリックスの主催ですきに、高知。以前は市営球場でやりよりまして、2005年2月27日、2006年2月26日、2007年2月25日のにっこりでもご紹介しちょります。今は春野でやりゆうがですね。
てな訳で、ちくと春野をたつくって見ました。
春野には、西分増井遺跡を始めとする、縄文、弥生からの遺跡がどっしこ。仁淀川河口部に、色んな集落ができてきたことがわかります。
中世になりますと、たくさんのお城ができます。群雄割拠で、それぞれの地域の豪族が、それぞれにお城を築いて覇を競いよった訳です。中世の城跡が、春野だけでもどっしこあります。
この写真の山は、芳原城のあった山。ここにお城と申しますか、砦が築かれたがは15世紀半ばらしいです。つまり、応仁の乱の前。戦国期に突入する前から、春野の地は群雄割拠やった訳です。
最初は、山の上には見張りの施設のみで、この周辺の平地を居住地にしちょったにかありません。その後、周辺がキナ臭うなってくるに従い、山の上に居住区を遷し、防御機能を強化していったとされます。
この写真は、南東部から撮影しちょります。山の右手の向こうに春野運動公園が見えます。芳原城は、発掘調査が精緻に行われ、その成果が発表されちょります。それによりますと、この南東部分の中腹、二の曲輪南東に、虎口がありました。砦への出入り口。堀切を渡り、6段の階段を登ると、虎口の城門があったそうです。城門を入ると枡形で、右手が建物、正面が崖になっちょって、左方向にしか進めません。そのルートは、両側に柵が並んで狭く、攻めていくには非常に危険な通路。その先には進入路を遮るように溝がつくられ、簡単には攻め上れんようになっちゅう訳です。この城の心臓部である建物群は、虎口とは、山の反対側にあって、簡単には見えんなっちょりますね。
以前、高知城のつくりに、簡単に攻め上れん仕掛けがどっしこ、というお話をしたことがあります。それは、中世の山城から受け継がれ、改善してきた成果ながでしょう。
今日は、この山の周りをグルリと1周してみましたが、登れそうな道をみつけることはできませんでした。う~ん、難攻不落。中世の城は奥が深いです。