四万十川赤鉄橋の朝と、中村の史蹟〔2869〕2011/02/22
2011年2月22日(火)中村も晴れちょう
今朝は中村。四万十市中村。昨日から来ちょります。いつものように早朝起きだして四万十川界隈をたつくって来ました。
中村は、見所満載で、何をご紹介したら良いのか迷うてしまいます。取り敢えず、この赤鉄橋の美しい風景にしましょう。四万十川に架かる赤鉄橋東詰から、西向いて撮影してみました。この対岸が、長宗我部軍と一条軍が最終決戦をおこなった戦場。お月様がキレイですね。
今朝は、こっから四万十川沿いに南下、不破八幡宮さんをお参りしてきました。
2007年9月28日にご紹介しちゅう、神様の結婚式という奇祭で有名な八幡様。一条教房さんが、京都の石清水八幡宮から勧請してきたそうです。
この赤鉄橋とくろしお鉄道の橋の間の左岸には、大正4年に、中村高等女学校の生徒などをたくさん乗せた渡し船が転覆、多くの犠牲者を出したことへの慰霊碑が建っちょります。
この赤鉄橋のしゅっと横には祇園社。元々、牛頭天王、八大龍王がもっと北に鎮座しちょったがが、天保年間に、この横に移ってきたがやそうですね。明治元年の神仏分離令で牛頭天王が祇園社に、八大龍王が海津見(わだつみ)神社に改名されたがです。ここにも、信仰の断絶、文化の非継承が見られますな。
こっからちょっと北へ行きますと、中村貝塚の跡があります。昭和40年、県の合同庁舎建設の際に発見された縄文晩期、今から2500年くらい前の遺跡。稲作の証拠もあるそうで、高知では珍しい縄文遺跡の代表的なもの。発掘調査したら、またまたすごいもんが出てきそうな遺跡でもあります。
そのしゅっと北、裁判所の裏の墓地には、あの幸徳秋水さんの墓所があります。対逆事件で刑死してから今年で100年。この100年後の世情を見て、幸徳秋水さんはどう思うでしょうか。彼なら、世の中を良くするために、大衆世論や大マスコミに惑わされず、強烈な政治活動を展開したでしょうね、絶対に。
ちょっとたつくってきたダケでもこれっぱあ興味深いポイントにでくわす中村。奥が深いです。