東京、蒲田八幡宮と太古の祭祀〔2870〕2011/02/23
2011年2月23日(水)東京は晴れ!
昨日の朝は四万十市の中村やったですが、今朝は東京の蒲田。昨日 夕刻の飛行機でやって来ました。日中、高知は、かなり汗ばむくらいの陽気で、コートなんぞ着いちゅうヒトは居りませんでしたが、夜の東京はまだ結構冷え ちょりまして、コートを着てないサラリーマンも居りませんでした。冷やかったです、コート無しやと。
さて、昨日、四万十市のご紹介の中で不破八幡宮のお話をしましたので、今朝は蒲田の蒲田八幡宮さんをご紹介しましょう。
こ の八幡様は、京急蒲田駅近く、密集する建物群の中に、静かに鎮座ましましちょります。創建は、慶長5年(1600年)とされちゅうそうです。
この地が、北 蒲田と新宿に分村した際、同じ蒲田のヒエ田神社さんから春日の像1体を頂戴してきてご神体としたがをもって、創建としちゅうがです。
し かしこの場所、元々、円墳があったりして、太古の昔からの、人々の信仰の場であってきたがにかありません。例えば、高知でも、土佐神社や朝倉神社、潮江天 満宮など、元々の信仰の地に、後になって別の神様を祀ることになったお宮さんは多いです。たぶんこの場所、大昔から、人々の神聖な場所であり続けてきたこ とが想像できるのであります。
そう言えば、縄文時代後期の遺跡である大森貝塚は、こっから結構近いですな。大森に貝塚があったということは、ここ も、当時から海岸に近く、多くの人々が住み着いた土地やったがかも知れません。そして、その、祈りの場が、ここにあったがかも知れんと妄想したら、楽しい ですね。
ここ蒲田は、交通の要衝。その、創建とされる慶長5年(1600年)には、徳川家康さんが、関ヶ原へと蒲田を通って出陣しちょります。その際、ここはすでに八幡さまやったがでしょうか、どうでしょうか。
そうそう、八幡さまですきに、当然、ご祭神は応神天皇。ここは誉田別命(ホンダワケノミコト)、つまり応神天皇のみがご祭神になっちょります。他の八幡さまのように、応神天皇のお母さんの神功皇后とかは、一緒に祀っちゅうとは書いちゃあしませんでした。