途方に暮れつつワクワクするひまわり太郎〔2825〕2011/01/09
2011年1月9日(日)晴れちょります
今日はお昼頃まで会社に居りまして、それから自転車で香我美町の中学校の界隈まで自転車でシャコシャコ行って、そっから香宗川沿いを遡行RUNに行っちょりました。目的地はここ。
途中の、香宗川沿いは、弥生遺跡、古墳時代の遺跡、そして中世の山城跡がどっしこある、太古からの歴史豊かな土地。以前にも書きましたが、いつもの野市の上岡八幡宮と関わりの深い石舟(いわふね)神社、正式には天忍穂別神社も鎮座しちょります。
物部氏の祖、ニギハヤヒノミコトさん、この神様はニニギノミコトと同じく天照大神のお孫さんとされますが、彼は、神武東征に先立ち、大和にやって来た神様にかありません。
まず、河内の山に降りてきた後、大和の桃尾山麓を本拠とします。その後、父の天忍穂耳命さんを慕うて、土佐へ石舟に乗ってやって来たとか。上岡山に石舟で降り立った後、富家(ふけ)、西川村、長谷の小村、峠の船戸、末延の水船、山川の舟谷を経て、現在の石舟さんの場所に到達したと言われちょります。
今日、香宗川沿いをたつくって来ますと、そんな歴史を感じさせてくれるものがどっしこ。物部氏の香りが溢れちょりますな。例えば、末延城跡という案内板がありましたが、そのお城は13世紀に八木氏が築いたもの。で、地元を支配する末延氏の名を継いで末延左近将監と称しました。末延氏は、元々、物部氏から出た氏族で、石舟神社の神官さんとして栄えてきたとか。今も、末延地区には末延さんという表札のかかった立派な家がありましたが、もし、末延氏の末裔とすれば、物部氏の末裔ということで、何やらすさまじいですよね。
さて、石舟さんの長い石段を駆け上ってお参りした後、更に香宗川を遡っていくと、ここに着きます。末延地区の中にある大きな施設。こないだうちまで「千舞温泉」として営業しよりました。いや、ネットで調べて、今も営業しゆうにかあらんと思うでやって来ました。帰りの、日に3便しかない市営バスの時間まで調べて。
しかし、ご覧の通り、やりよりませんでした。
いや、そんな話も聞いちょったので、ひょっとしたらやりやあせんかも知れんと思いながら走ってきたら、やっぱしそうでした。写真は、その静かな建物を眺めて途方に暮れるひまわり太郎。
バスが通るまでは2時間半。
仕方ないので、また、10km近い道のりを香我美中学校の所まで走って帰ることになってしまいました。いやいや大冒険。
実は、以前にも何度か、調査不足、認識不足による大冒険をしちょります。このにっこりでもご紹介しちょりますな。これ、実は白状しますが、確信犯に近いものがあります。ひょっとしたら計画通り行かず、とんでもない経験をするかも知れん、というワクワク感が、好きながやと思います。
こんな感覚を共有できる方はメッソ居らんにかありませんね。楽しいですに。