合羽からげて〔2799〕2010/12/14
2010年12月14日(火)晴れ!
時に元禄15年12月14日、江戸の夜風を震わせて・・
これは、我が尊敬する三波春男大先生の歌謡浪曲、元禄名槍譜「俵星玄蕃」にでてくる長台詞の冒頭。そう。12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日なのでありました。やっぱしエイですね、三波春男先生は。
実は昨夜、結構降りよりましたので、合羽を着て、自転車で帰ってきました。その間中、何故、合羽は合羽(かっぱ)というがやろうか、と、ずうっと考えよりました。不思議ですよね、合羽という名前。語感も読み方も。
これ、どうやらカステイラと一緒でポルトガル語にかありません。16世紀にやって来た宣教師が着いちょった衣装をまねて作ったがやとか。それに、合羽という漢字を当てたがでしょう。なるほど。今では合羽と言えば雨合羽で、雨のときに着るものですが、そうではない使われ方をした合羽もあったと思います。ここで三波春男先生の歌に戻りますが、名曲「雪の渡り鳥」の出だしはこう。
かああっぱ~ か~らあげえて~ さ~んど~があさ~
そう、あの時代の渡世人は、どうやら合羽をからげちょったにかありません。ここでいう合羽は、時代劇とかで渡世人が羽織っちゅうあのかっこエイ、マントのことですよね、たぶん。あれ、雨除けでもあったでしょうが、晴れちゅうときも羽織っちょりますよね。
ガッパは、我々が子供の頃に日活が制作した怪獣モノの特撮映画に出てくる、鳥を巨大にしたみたいな怪獣。見るからにガッパという感じの風体でした。結構好きやったです。ソフトビニールのフィギュアを持っちょりました。
ところで高知県人は、一生懸命のことをヒッシカッパと言います。ヒッシはもちろん必死でしょうが、カッパはいったいこったい何を意味するがでしょうか。ご存じの方がいらっしゃったらご教示ください。
そんな訳で、全然関係ないですが、ここは夜明け前の青柳橋。昨日、一条橋をご紹介したので、何となく今朝は青柳橋にしてみました。結構長い橋ですが、最初に架けられたがは明治4年といいますきになかなか早いです。稲荷新地や鏡川河口の港と、五台山吸江を結ぶ橋。五台山方面と市内との往き来がかなり盛んやったことがわかります。橋のたもとに青柳が立っちょったので青柳橋ということになったにかありません。ここに五台山の車道の登り口があります。こないだの日曜日は、こっから頂上までヒッシカッパに駆け上がったのでありました。