京都霊山神社、吉村寅太郎さん墓所前の不思議な出逢い〔2763〕2010/11/08
2010年11月8日(月)京都は晴れどすえ
今日は出張で京都。江戸時代初期に創業された料亭や、お酢屋さんの、それはそれは深いお話を拝聴しました。すごいです。細やかな気配り、料理屋は目立ってはいけないという考え方、そして意外な気もしますけんど、常に現状に甘んじない心構え、などなど、古い歴史を過ごしてこられたからこそ聴ける貴重なお話でございました。
で、ここは霊山神社。京都の繁華街に近い山にある、勤王の志士などの墓所がたくさんある霊山神社。ここに坂本龍馬さんや中岡慎太郎さんを初めとするたくさんの土佐の志士の墓所もございます。実はひまわり太郎、ここをお参りしたことはございませんでした。初めて。
で、石段をずうっと登っていった所にある龍馬と慎太郎の墓所前にはたくさんの方がお参りしよりました。この神社の山の斜面には、ホントにおびただしい墓石の石柱が並び、一種独特の雰囲気が醸し出されちょります。その墓石は、出身藩や、事件別にキチンと整理されちゅうがですね。
ここは、土佐の山間、津野山芳生野の庄屋さんで、天誅組を組織して倒幕のために奔走した吉村寅太郎さんの墓所前。文久3年(1863年)天誅組蜂起するも、8月18日の政変で状況が一変、幕府軍に制圧され、吉村寅太郎さんをはじめ、たくさんの若者が奈良吉野で散っていきました。その、天誅組蜂起で討たれた志士の墓石が、この右上方に並んじょります。
この吉村寅太郎さん墓所前に、なにやら土佐弁のような言葉をしゃべられゆう男女3名連れがいらっしゃいました。訊いてみますと、高知の津野山、梼原からいらっしゃったとのこと。しかも、手前の女性は、なんとあの那須信吾さんの係累の方やそうで、ビックリしました。那須信吾さんは、あの吉田東洋さんを斬った人物で、吉村寅太郎さんの天誅組で一緒に蜂起し、奈良で討たれちょりますので、この右上の墓石が立っちょりました。龍馬が脱藩した際、藩の境まで案内したがは那須信吾さんでした。
那須信吾さんの父親は、津野山界隈の幕末の若者に強い影響を与えた那須俊平さん。槍の名人で、やはり倒幕に命を捧げ、長州のおこした蛤御門の変に参加して討たれちょります。直系ではないがその子孫の方ということで、吉野とここ霊山神社にお参りにきたがやそうです。
しかも、右手の、石段に向こうて荷物を置かれゆう方は、吉村寅太郎さんの姉の子孫やそうで、すごい場所ですごい皆さんに出逢うてしまいました。寅太郎さんの辞世の句は
吉野山 風に乱るる もみじ葉は わが打つ太刀の 血けむりと見よ
凄まじいですね。
不思議な出逢いで、幕末が近づいてきた感じがした、京都、霊山神社。貴重な体験です。