筆山の落ち武者〔2755〕2010/10/31
2010年10月31日(日)曇りのち雨
雨がシトシトの高知市内。今日は鏡川沿いの柳原で「ふるさとまつり」をやりよります。午前中、久々に鏡川土手を走ってふるさとまつりをテガい、それから筆山を駆け上ります。その筆山を上る道路の途中に、このような建物がございます。高知市の運営する「筆山文化会館」。陶芸教室とか彫塑の教室とか、バンドの練習とかが格安でできるようになっちゅう文化施設。ひまわり太郎も、何年か前までここでバンド練習をしたりしよった、こじゃんとお世話になった施設でございます。
ここは昔、ユースホステルやった訳ですが、閉鎖されてそのまんまになっちょりました。それを、高知市が文化施設に利用することになった訳です。なんという英断。山にあるので騒音問題もない、ということで、防音設備無しで練習スタジオに使えるなど、なかなか便利な建物やったがです。右上に廃バスが見えるように、雰囲気満点。
この筆山、大昔から幾度も戦乱の舞台となってきた場所。例えば1340年。南北朝の合戦が全国的に繰り広げられゆう時代、土佐も例外ではありませんでした。土佐の南朝方の中心人物は、現在の高知城の山を本拠とする大高坂松王丸さん。後醍醐天皇の息子、満良親王が救援にはいります。で、ここ筆山に新田綿打入道、金沢左近将監などと布陣して、北朝と対峙、1340年12月24日、25日と合戦をおこないました。結果は北朝方の勝利。ここ、筆山で、大高坂松王丸さんが敗死、満良親王は落ち延びていったということ。この山の斜面で、凄絶な合戦が繰り広げられたという訳です。
その後も、戦国時代、この山に城を築いた森氏と急激に勢力を伸ばして来た本山氏の合戦が行われ、本山氏が勝ったりしちょります。
あの建物でバンドの練習をしよった時分、管理人のおんちゃんに聞いたことがあります。夜になると、この鉄筋コンクリートの建物はものすごい雰囲気になります。で、こんな建物にひっとり居って、夜とかは怖いことないですか?と。そのお返事。「いやあ、夜、管理人室でたまに振り返ってみたら、矢がいっぱい突き刺さった落ち武者が立っちゅうことがあるねえ」と、シレっとして答えられました。