東野土居遺跡で妄想する〔2747〕2010/10/23
2010年10月23日(土)晴れたり曇ったり
昨夜は、九反田でおきゃくをやった船を降りて、その堀川沿いにあるお酒屋さんで立ち飲みをして過ごしました。エイですね、この開放感。船で海と夜景を眺めながら飲んだ後、立ち飲みでのんびり。これぞ高知の夜の過ごし方、ですな。
さて、今日の高知新聞に、香南市野市の、東野土居遺跡という古墳時代初期から工期の遺跡で、大規模な集落跡の発掘調査が行われゆう、という記事が載っちょりました。こりゃあ会社の近所ですきに、行ってみんといけません。
高知県中央部では、弥生時代、物部川河口近くの自然堤防上に、大規模な集落が長い間形成されました。ご存じ田村遺跡。集落中央を物部川の支流が流れ、そして集落内には井戸もなかったらしいことから、川水を農業用水や飲料水などに利用しよったと思われます。肥沃な土地ですきに、当時としては生産力のある、そして水の便利の良い地域やったにかありませn。しかし。弱点は、物部川の洪水に弱いこと。こないだから書きよりますように、物部川は暴れ川。太古の昔より、ビッシリぎっちり氾濫して、田畑や民家を流してしもうてきました。
で、弥生時代後期になってきますと、田村遺跡の集落から分かれた集落ができはじめます。田村からずうっと北へ行った、長岡台地上がその中心。いわゆる河岸段丘の上で、洪水にはかなり強そうな土地。灌漑や井戸の技術が、そんな所に大集団で住むことを可能にしてきたがでしょうか。
そして、同じ時期、物部川東岸にも田村の分村と思われる集落ができはじめました。有名ながは香我美町の下分遠崎遺跡でしょうか。そして最近注目され始めたががここ、東野土居遺跡。
土居という地名でわかりますように、こないだ8月31日のにっこりでもご紹介した鎌倉時代から戦国期までここを本拠にした香宗我部氏の香宗城のしゅっと近く。ここに、古墳時代前期としては県下最大級の集落があったがにかあらんがです。後世、香宗我部氏が拠点にしたことからも推察できるとおり、ここは肥沃かつ便利な場所やったがでしょう。位置関係からしましても、たぶん田村の人たちが移り住んできたか、もしくはその文化のこじゃんと強い影響を受けちょったか。
ここには新しい高規格道路ができるということで発掘され、その姿が明らかになってきた訳です。言わば偶然ですきに、ひょっとしたら皆さんの住みゆう下も掘りくり返してみたら重要な遺跡が埋まっちゅうかも知れません。
こんな発掘現場を見ると、ここに家や小屋が建ち、人々が生活しゆうシーンが妄想されてもう、たまりません。