延喜式内社、深渕神社と物部川の洪水〔2736〕2010/10/12
2010年10月12日(火)秋晴れ!
今日も良いお天気。朝の空気は澄みわたり、寝起きの体をスッキリと起こしてくれる季節になりました。
ここは現香南市、野市の深渕神社。東の空の朝焼けが美しい、夜明けの深渕神社。このお宮さん、延喜式内社ですきに、この界隈の神社でも格別由緒ありまくりの神社でございます。平安時代の延喜式に記載された神社た、土佐では全部で21社。香美郡内には4社しかなく、ここはそのうちの一つ。深渕水夜禮花命(ふかぶちみすやればなのみこと)さんをご祭神としちょります。
元々、原部島という場所に鎮座しちょったそうです。それがどこかわかりませんが、たぶん今よりだいぶ西やったと思われます。水の神様ですきに、物部川沿いにあったがやないでしょうか。
しかししかし、物部川という大河は、昔からものすごい氾濫を繰り返してきた暴れ川。川沿いの集落に壊滅的被害をもたらした大洪水を、それこそビッシリ繰り返してきちょります。そして藩政期、野中兼山さんの治水工事が終わって間もなくの寛文年間(1661年~1666年)に3度の大洪水があり、原部島の深渕神社は一切合切流されてしもうたそうです。で、野市の十善寺に移設されました。
が、その深渕神社も、明治25年7月の洪水で流失。移設され、明治 32年の洪水にて最終的に現在の場所へと移ってきたがにかありません。明治25年の流失では、全部流された訳ぢゃあないみたいです。と、申しますのも、現在の境内に文政10年寄進の燈籠があるきです。つまり、洪水で社殿とかが被害を受け、あんましビッシリ被災するので、もっと安全な東のこの場所へ移してきた、というがが真相ぢゃあないでしょうかね。
ところで、明治19年の物部川大洪水では、自由民権運動史に残る騒動「物部川堤防事件」が勃発しちょります。洪水被害の復旧工事で、その復旧工事資金を、物部川水利に関係ない地域からも集めるろうとしたがに地元住民が怒りました。で、民権運動家を先頭にして県庁やら役所やらに数千人が押し寄せたという事件。物部川の洪水と自由民権運動が関連してしもうた訳です。
物部川、いろんな時期にいろんな局面で暴れてきた歴史をもっちょります。