婦人参政権と楠瀬喜多〔273〕2004/01/14
2004年1月14日(水)快晴
今朝は北日本、大荒れのお天気みたいですね。高知は真冬の引き締まった快晴。未明の空に満天の星がとてもきれいに輝いております。今朝も鏡川を遡行、上町界隈をたつくってきました。川沿いを西に向かって走りますので、正面の西の空に、双子座のカストルとポルックスや獅子座のレグルスを眺めることができます。本当にきれいですね。
さて、上町の北奉公人町にはご覧のような記念碑が建っております。「婦人参政権誕祥之地」と書かれた碑です。
明治10年、立志社が始めた公開演説会に一人の女性が熱心に聴きに来ておりました。女性の名前は「楠瀬喜多(くすのせきた)」。翌年彼女は、県庁に対して、男女同権に基づく選挙権の行使を願い出ました。もし認められないのであれば、同権ではないので、男性と同様に求められる納税の義務を拒否する、といった脅しつきで。なかなかやるもんです。結局この申し出は拒否されましたが、2年後、ここ、上町町会において女性の選挙権、被選挙権が認められ、続いて隣接する小高坂村でも認められることとなったそうです。
女性がお上に対して男女同権を訴えたのも日本初なら、町会レベルとは言え女性の参政権が認められたのも初めてということで、上町のこの地に記念碑が建てられました。碑文のなかに当時の高知新聞に書かれた評が書かれちょります。
「男女同権ハ海南ノ某一隅ヨリ始ル」
楠瀬喜多さんは、その後も熱心に演説会を聴聞しつづけ、「民権ばあさん」として有名になりました。彼女の眠るお墓には、驚いた事に「頭山満建之」と彫られちゅうそうです。右翼の巨頭として有名な頭山満は、その思想活動を自由民権運動からスタートさせました。明治13年に頭山が立志社を訪れた際、しばらく楠瀬喜多さんの家に居候し、帰りの旅費まで借りた縁によるのだそうです。おもしろいですね。。