雨の沢田マンション、岡田以蔵さん、溝渕広之丞さん〔2721〕2010/09/27
2010年9月27日(月)小雨
今日は朝から小雨模様。こんなお天気も久し振り。自転車を漕ぐと、顔に当たる雨粒が痛心地良いですな。
ここは高知市北部、あぞの。近年北部環状線という交通量の多い道路ができ、巨大ショッピングセンターもできたりして、すっかりと姿も変わってしもうた界隈。以前はかなり一目を憚る感じで建っちょったこの沢田マンションも、やむにやまれず表舞台に出てきた、という風情です。この、ひまわり太郎が小学生の頃に建ったマンションは、当時から、車が上がっていく坂道があったり屋上に不思議なオブジェがあったりした、風変わりな建物でした。その後、思いついたようにあちこち増築が重ねられ、立体迷路のような構造ができあがりました。
色んな場面で紹介され、本にもなっちゅうので、現在では結構アーティスティックな方が多く住んでらっしゃいますね。で、この裏山は、以前にもご紹介しましたが、藩政期からこちらの有名人の墓所が多い山。あの岡田以蔵さんも、あの山の上に眠っちょります。
昔から、筆山、高見山界隈と、北部のこの界隈の山々は、市民の墓所として活用されてきちょりまして、古いお墓もどっしこあります。
この山ではないですが、もうちょっと西へいくと、昨夜の龍馬伝にも出てきました溝渕広之丞さんの夫婦墓があるそうです。龍馬が最初に江戸修行へ出掛けたときに道案内をしてくれた人物で、龍馬伝ではピエール瀧さんがエイ味だしちょりますよね。実は次回、彼はこじゃんと大切な役回りをすると思います。
長崎へ行ってみた後藤象二郎くん、龍馬さんがエラい有名人、人気者になっちゅうがに驚きまして、会うてみたいと思います。で、間に立ってもろうたがが溝渕広之丞さん。つまり、亀山社中が土佐海援隊になったがと、大政奉還の立役者の一人という訳です。あの龍馬伝でわかるとおり、温厚篤実な人物やったらしく、周囲から信頼されちょります。一枚だけ残された写真には、篤実そうな顔が写っちょります。
明治政府の役職にはつかず、隠居して悠々自適の生涯を送り、明治42年まで生きちょったそうです。幕末維新の時代に生きた人物のなかで、これほど悠々と幸せに生きた方も珍しいがやないでしょうか。そんな気がする溝渕広之丞さんは、対照的な生き様を見せた岡田以蔵さんの墓所からそんなに遠くない山に眠っちょります。