茶畑の記憶、鷲尾山登山〔2720〕2010/09/26
2010年9月26日(日)晴れちょります
よいお天気。日差しは強くとも、風はちょっとづつ秋になってきました。心地良いですな。で、今日は久々に、自宅から竹島町を抜け、六泉寺、深谷から南嶺を駆け上がって山をたつくってきました。こないだうちまでの猛暑ですと、暑さで息もタエダエになりよりましたが、今日は暑いながらも快適でございました。
深谷から一気に駆け上がるとそこは北中山。土佐塾中高等学校が鎮座まします、北中山。あの学校ができてからまだ20年ちょっとですきに、ひまわり太郎がビッシリ鷲尾山へたつくりに行きよった時分は、まだ普通の山でした。
が、深谷から登る山道の脇には立派な石垣の段々が築かれちゅうことでもわかりますように、昔から、色んな作物の畑として切り拓かれちょったようです。今、その段々には杉の木が文字通り林立しちょりまして、山の上の方は鬱蒼としてきちょりますな。
で、ここ。
ここは、以前にも一度ご紹介したことのある、土佐塾中高等学校さんの貯水池。たぶん調整池やと思われる、コンクリートでできた構築物です。ここには、昔、鷲尾山へ登る皆さんが休憩場所にしよった茶畑がありました。ここまで来ると、あとは一度下ったあと、頂上までひたすら急坂を登るだけ。こうやって眺めてみると茶畑のあった姿がなんとなく想像できてきます。正面の尾根、左手の山が鷲尾山で、右手の鉄塔の立つ山が烏帽子山。
写真右端に道が見えますが、あれが昔の面影でしょうか。今でも、筆山から鷲尾山へ登る際にはあの道を通ります。あの道界隈に大きな岩がなかったでしょうか。その岩で、お茶を飲んだりしながら休憩しよったもんです。今の季節は草ぼうぼうでちくと判りづらいですきに、冬になったら今一度、茶畑休憩所の痕跡を探索してみたいと思います。