森林鉄道の痕跡、古き良き時代〔2714〕2010/09/20
2010年9月20日(月)晴れ!
今日は敬老の日。もうまあお彼岸。お彼岸というのに、昨日も書きましたが、彼岸花の咲いちゅうがが少ないです。例年ですと、お彼岸の頃にはあちこちで咲き乱れる彼岸花、ことしはまだ莟のやつが多いですね。筆山の山番さんに訊いてみましたが、やっぱし暑さでことうちゅうがぢゃお、と、おっしゃりよりました。
さて、今日も昭和の痕跡。いや、ここは最近ビッシリご紹介しよりますきに、タッた方もいらっしゃると思いますが、お彼岸になると田野へ来るようになっちょりまして、ご先祖様の眠る山から下って来た所がここなもんですきにご容赦ください。
左手は田野八幡宮の森。本殿からまっすぐ南向いて、ご覧のように参道が延びちょります。まっすぐ行くと広大な太平洋。ですきに、この八幡様は海の安全を守ってくれる神様でもあります。土佐久礼の八幡宮と一緒ですな。
田野が港町として栄えたがは、こっから北へ奈半利川や安田川をさかのぼった山々の杉、檜という資源のお蔭。特に藩政期には、杉材、檜材を始めとする貴重な森林資源は、田野の西を流れる安田川と田野に東を流れる奈半利川を使うて奥深い山から搬出され、その積み出し港として、人も羨む繁栄を見せたのでありました。で、土佐での有数の豊かな地域となり、教育水準もこじゃんと高うなって、幕末に中岡慎太郎さんなどを生み出すこととなりました。
今でも、この界隈をルーツとする商売人は、結構、高知に多かったりします。
さて、明治になって鉄道というテクノロジーが入ってきます。それまで河川を主に利用しよった木材の搬出は、森林鉄道が一手に担うこととなります。四国山脈のとっと奥、馬路村から、ここ田野まで、木材の運搬用に森林鉄道がつくられたがは明治44年とのこと。昭和30年代後半まで活躍した森林鉄道は、道路整備に伴うて、ひまわり太郎が子供の頃に廃止されてしまいました。
この、八幡様の参道は、鉄道開通によって、このような高架の参道になりました。ここを、蒸汽を吹き上げながら、木材を満載した汽車が通りよった往時を想像してみてください。このカーブの向こうから今にも汽車がやって来そうな気がする、そんな鉄道線路の痕跡です。