ロープモノレールの痕跡、古き良き時代〔2712〕2010/09/18
2010年9月18日(土)晴れ!
心なしか空の青が濃ゆうなってきた気がします。もうお彼岸ですきんねえ。
さて、今日も昭和の痕跡シリーズ。昨日の明治大正痕跡は、かなりマニアな痕跡でしたが、今日のはひまわり太郎の年代やったら誰でも知っちゅう昭和の痕跡をご紹介しましょう。
ここは五台山のてっぺん。「パ・ノ・ラ・マ」というコジャレたカフェのある展望台の建物。その建物の西側はこんなになっちょります。ああ懐かしい。ここに、自走式のロープウェイ、「五台山ロープモノレール」乗り場がありましたよね。あの水色のまん丸こいやつ。
調べてみたら昭和44年開業で、昭和53年に廃止されちょりますきに、たった9年の営業期間。ただ、ひまわり太郎が小学中学高校の時代になりますきに、かなり強烈な印象が残っちゅうのであります。
この山頂の駅は「見国停留場」というがが正式名称。ここと、青柳橋の西詰の青柳停留場の間を、何と4分で結んじょったという便利なものでした。今はこのように展望台になっちょって、手前に付きだした丸い部分が、元々はケープルを巻き取るようになっちょったところでしょう。で、上ってきた丸い水色のキャビンは、この丸い部分を廻るようにして折り返し、そこで人が乗るようになっちょりました。
当時の五台山、竹林寺さんには鹿がいっぱい居り、今のような立派な展示館もなかった牧野植物園も、なかなかの人気でした。温室は何となくハイカラな、ヨーロッパを感じさせてくれる施設で、趣きがありましたよね。とにかく、五台山頂には、結構ヒトがようけ居ったような記憶があります。
あの頃、道路も今みたいに整備されちゃあせんかったので、4分で頂上まで行けるロープモノレールはこじゃんと便利でした。遠足では、ロープモノレールは使いませんでしたが、五台山への遠足、何回行ったか記憶にないくらい。桂浜と五台山が遠足の双璧やったです。
今は牧野も大きく立派になり、温室も新しいがが完成しました。鹿は居らんなりましたが、竹林寺さんは昔のまんま、幽玄に佇んじょります。今、山頂付近は猫のパラダイス、猫パラになっちょりまして、道路脇でたくさんの猫がのんびりしゆうがが印象的。
車で移動するがが当たり前になった今のご時世ですが、あんな公共の乗り物、今一度見直し再評価してみるがも一興やと思います。