上岡八幡宮のツユクサ、斉明天皇の話〔2704〕2010/09/10
2010年9月10日(金)晴れちょります
今朝の高知新聞一面トップに、奈良県明日香村の牽牛子塚が斉明天皇陵である、という記事が載っちょりました。宮内庁は別の場所を斉明天皇陵と指定しちゅうので、当然、反対するコメントも掲載されちょったのではありましたが。
斉明天皇と言えば、ニッポンの歴史の中でもかなり重要な場面に出てくる女帝ですよね。
最初、皇極天皇として即位した際には、中大兄皇子やら中臣鎌足やらが蘇我氏を討つ大化の改新の現場に居合わせちょりますし、一旦退位した後、斉明天皇として再び即位した際には、明日香村の石上山から天香具山まで「狂心(たぶれごころ)の溝」と呼ばれたほど評判の悪い土木工事をやったり、無茶な百済救援軍を送ろうとしてニッポンを危機に陥れたりしちゅうがは有名。全部、息子の中大兄皇子やの差し金やったという説が有力ではあります。勝者の歴史である日本書紀ではそれほど書かれちゃあしませんが、状況証拠を見ると、ちくと民心から離れた女帝やったフシがありますよね。
実は高知にも斉明天皇の足跡伝説があります。ご存じ朝倉神社。斉明天皇は、唐・新羅連合軍と戦うために出征し、途中の九州、朝倉宮で亡くなったとされちょりますが、高知の朝倉神社にも、同じ伝説があるのであります。
さて、斉明天皇が朝倉宮で崩御したがは7世紀後半。その時代の八角形の立派な古墳が、今回どうやら斉明天皇陵ぢゃあないろうかということになりました。高知の朝倉神社の西には、7世紀前半と思われる朝倉古墳があります。全然関係無いとは思いますけんど、妄想してみたら楽しそうですな。
さて、その話題とは全然関係ないこの写真、今朝の上岡八幡宮境内に咲くツユクサ。真夏の境内は緑濃く鬱蒼とした雰囲気がありますけんど、よく見てみるとブルーのツユクサや朝顔、ピンクや黄色のオシロイバナなどが可愛らしゅうに咲いちょります。暑さにも負けず、涼やかに咲いちょります。エラいもんです。