ここは後免駅、明日は7周年〔2557〕2010/04/16
2010年4月16日(金)降ったりやんだり
ここは後免駅。南国市内にあるJRの駅は、ここと土佐長岡駅の2つ。土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の、南国市内にある駅は、こことごめん町駅と立田駅の3つ。ひまわり乳業へは、立田駅から歩いて15分なのであります。
特急が停まるのはこの後免駅だけ。今日は、こっから汽車に乗って出張に出掛けました。汽車の中でこのにっこりを書きよります。
まっすぐ行って左へ向かう線路がJR土讃線で、右へカーブしていく線路がごめんなはり線。
土讃(どさん)線、国鉄時代は土讃本線と呼びよったですよね。以前にも書きましたが、高知のヒトは、JRのことを「汽車」と呼びます。単線ヂーゼルで、一切電化されちょりませんきに、電車ではのうて汽車。高知のヒトが「電車」と呼ぶがは土電の路面電車。これは高知の常識です。
この土讃線が四国山脈の北、瀬戸内側とつながったがは昭和10年。トンネルだらけの土讃線ですきに、蒸気機関車からヂーゼルになった昭和40 年頃まで、夏でも窓を開けれんというなかなかキツい路線やったようです。煤で顔が黒うなった話を、父親からよく聞かされました。
藩政期初期、このにっこりにはビッシリ登場する執政、野中兼山さんによって、現在の南国市の新田が開かれました。その中に町場を形成することとなり、新しい町場へ入植してきたヒト達には、年貢や労役が免除(御免)されたのでありました。そうでもせんと、なかなかヒトが集まらんかったがでしょうね。それで、いつの頃からか、「御免」町と呼ばれるようになり、今では後免。非常にへりくだった、腰の低い町名になりました。
さて、今日は4月16日。と、いうことは、明日は 4月17日、当たり前ですけんど。2003年4月17日が、このにっこりひまわり1回目ですき、明日はいよいよ7周年になるのであります。一日も休まずに続けてきたにっこりひまわりも、連続7年、2558回を迎える訳です。で、今出張に向かいゆう、ということは、周年を初めて県外で迎えることになります。さあ、張り切って参りましょう!