野市、上井川、三叉、野中兼山さん、紀夏井さん〔2523〕2010/03/13
2010年3月13日(土)薄曇り
雲が出ちょりますけんど、冷ようない土曜日。高知県内は春の雰囲気まんまんで、観光客さんもこじゃんと増えてきました。週末は宿泊施設がどこも一杯らしいですね。ご迷惑をおかけしちょります。
さて、昨夜、こないだ潮江用水をご案内してくれました潮江雪太郎さん達と、お街で一杯やりもって高知のことを語り合いました。で、改めて農業用水のことを色々教えて頂きましたので、今朝は会社の東、野市を流れる野中兼山さん開鑿の水路を眺めてきました。以前にもご紹介した三叉は、この左端の水路をちょっと下った所にあります。
この左が河岸段丘で、その上に野市の田畑や市街地が乗っちょります。ここで段差になっちょりまして、右手の田畑はここより 5~10m低い土地。物部川の水面からは十数メートル高い、野市の田畑。ですきに、だいぶ上流に堰をつくって、長い長い用水路を通してこんといかん訳で、大変な工事やったがです。しかしそのお陰でご覧の通りのすごい水量。今、丁度田んぼに水を引く時期で、豊かな農産物を支えちゅうががこの豊かな水。
この右の2本はこっから轟音をたてて下の段へ落ちて行き、下を流れる水路に合流しちょりますね。これは何の意味ながか、わかりません。下も水路は流れよりますき、ここの水門は水量調節の為ながでしょうかね。地元の方に聞いてみんといけませんな。
この上井(うわゆ)川は、この上流の町田という所の堰から流れてきます。こっから北へ行くと、この水路の東、山の手にももう1本水路が流れちょります。父養寺(ぶようじ)井。これは、その町田の堰よりもとっと上流、山田堰の所から取水されて流れて来る水路で、これも野中兼山さんが1655年に開鑿したものだそうです。案内板によりますれば、全長6kmで灌漑面積30ヘクタール、開鑿時には夜間、提灯の火を利用して測量した、と伝えられる水路。あの当時の土木工事もなかなか進んじょったがですな。
ところで父養寺という地名は、西暦866年に土佐へ流されてきた紀夏井さんに由来します。昔書きましたね。応天門の変に連座して流罪になった夏井さん、以前、讃岐守とかの際の善政が有名で、ここへやって来ても医薬の知識を活かして住民に慕われた人物。親孝行でも有名で、この地名は、亡くなったお父さんを供養したお寺に由来するみたいです。ここ野市では、野中兼山さんとともに、紀夏井さんも顕彰したい人物です。